ウクライナ侵攻から3年、歴史に学ぶ「ロシアの恐るべき野望」とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。

ウクライナ侵攻から3年、歴史に学ぶ「ロシアの恐るべき野望」とは?Photo: Adobe Stock

ロシアの野望はどこまで続くのか?

 第2次世界大戦が終結すると、アメリカとソ連のイデオロギーをはじめとする対立が生じ、これが「冷戦」と呼ばれます。「冷戦」の端緒となった出来事の一つが、1947年に合衆国大統領トルーマン(任1945~1953)が発表したトルーマン・ドクトリンです。

 トルーマン・ドクトリンとは、共産主義に抵抗する政府への、軍事も含めた支援を表明したもので、具体的にはギリシアとトルコの共産化を阻止しようというものです。さて、なぜここでギリシアとトルコが焦点となったのでしょうか?

 これも南下政策の観点から説明ができます。下図(図96)を見てください。

ウクライナ侵攻から3年、歴史に学ぶ「ロシアの恐るべき野望」とは?出典:『地図で学ぶ 世界史「再入門」』

 当時のソ連、ギリシア、トルコの位置関係を見ると、19世紀の南下政策と同様に、ギリシアとトルコがその南下ルートに位置することがわかります。実際、1946年にソ連はトルコ政府に、①黒海に面した国家以外のダーダネルス海峡の通行を制限すること、②ボスフォラス・ダーダネルス両海峡のソ連・トルコによる共同防衛の2つの提案を持ちかけましたが、これはアメリカ政府の圧力もあってトルコ政府が拒否します。

ロシアの「悲願」とは?

 黒海方面への南下、とりわけボスフォラス海峡とダーダネルス海峡の航路確保は、ロシア国家にとって悲願であり続けているのです。これは、21世紀の現代にあっても例外ではないのです。「冷戦」は1989年のマルタ会談により終結を宣言され、さらに1991年にソ連が崩壊します。これにより、ソ連を構成した国々が独立し、その一つにウクライナがあります。ウクライナは、かつてロシアが南下政策の最大の拠点としたクリミア半島を領有しました。

 2014年、ロシア連邦はロシア系住民の保護を理由に、クリミア半島を軍事占領します(2014年クリミア危機)。また、ロシア本土とクリミアの接続を目指し、ウクライナの東部国境地帯の2州の親露派による独立宣言の後、ロシアへの併合を宣言します(ドンバス戦争)。そして、ウクライナでゼレンスキー政権が発足し、ウクライナのNATO加盟の可能性が高まると、ロシアは2022年にウクライナへの全面侵攻に踏み切ります(ウクライナ戦争)。

 21世紀を迎えても、ロシアによる南下政策の野望は、ついえるどころかむしろ強まっている可能性すらあります。今世紀の南下政策は、北大西洋条約機構(NATO)諸国を交えた、新たな「東方問題」となるのでしょうか。開戦より3年を超えた現在でも、終結の見えないウクライナ戦争は、ロシアの南下政策の行方を象徴しているのかもしれません。

(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集したものです)