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古典と呼ばれる名作は、作者自身が書き上げたものなのか?「東大・京大で1番読まれた本」(大学生協で長年1位のロングセラー)で知られる『思考の整理学』の著者でもある外山滋比古は、その多くは後世に編集や解釈が加えられ、時代に合った姿に変えられてきたという。誰もが知る文学作品の意外な原型とは?※本稿は、外山滋比古『乱読・乱談のセレンディピティ』(扶桑社)の一部を抜粋・編集したものです。
『源氏物語』や『枕草子』の原本は
本当に京都の大火で消えたのか?
文学史をいろいろ読んでいると、おかしいことに気づく。
たとえば、平安期の文学について、いま残っているテクストのうちもっとも古いのが鎌倉期になってからのものだ。『源氏物語』でもそうである。『枕草子』もそうである。
どうして同時代のテクスト、稿本が残らなかったのか。
文学史は、京都の大火によって、古文書が湮滅したと説明する。それを真にうけるのが文学好きな人なのであろう。これに疑念をはさむものが古来なかった、少なかったのは不思議である。
たとえ大火であっても、大切なものならもち出すはずではないか。すべての稿本が亡くなってしまったのは、火災などによるものではなく、もっと怖ろしい破壊力をもつ価値の革命があったと想像する方が合理的である。
鎌倉期においてそういう革命がおこり、それまでのテクストをすべて葬り去った。その代りに新しいヴァージョン、テクストが生まれ、それが現在まで生きてきた。そう考えることも、可能である。
少なくとも大火災で稿本が一斉に焼けてしまった、などという話より、思想上の革命によると考える方が無理も少ないように思われる。
だいいち大火湮滅を信じるとすれば、その後残るものはないはずである。
鎌倉期に復活するにしても、そのもとになるテクストがなくてはならない。火災になって、とりあえず写本をつくる、などということは考えにくい。
やはり、大火をまぬがれた稿本があったはずであるが、それは鎌倉期の新版の出現によって廃棄されたと考えるのが妥当で、わかりやすい。







