自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「いつも幸せな人の考え方」を紹介します。

モノを減らすことは、
「手放したくないもの」を考えること
手放すときがきて初めて、そのモノのありがたみや、存在の大きさに気づくことがあります。
「何を手放すか」を考えることは、一方で「何を手放さないか」を考えることでもあるからです。
モノを減らすことは、身の回りのモノに目を向け、そこに埋もれた宝物に気づいてあげるきっかけにもなるのです。
修道院に入って数ヵ月も経つと、最初は不自由に感じた「モノを持てない環境」にも、しだいに慣れていきました。シスターからのアドバイスもあり、私は思い出の品さえ手放せるようになりました。
ですが、なんでもかんでも抵抗なく手放せたわけではありません。
どうしても手放せなかった「大切なもの」
たとえば、学校でもらった手紙や、友達と交換したプリクラ。思春期の私には手放すことが難しく、さすがに無理と、机の奥に隠しました。
月に3、4時間しか外出が許されない私にとっては、本当に宝物だったからです。
兄がデザインし、母が刺繍を施してくれたペチコートも大切な宝物でした。
スカートの下が透けないように着る肌着のようなもので、当時は薄桃色の地味なものしかなかったため、「それなら世界でひとつの可愛いペチコートを作ればいい」と、母と兄が手作りで用意してくれたのです。薄茶色の生地に、裾周りとウエスト部分に手刺繍が施されており、可愛くてオシャレで想いがこもっていて、手放すことはできませんでした。
修道院に入ったときから現在まで、25年間愛用しています。
「とりあえず持っておく」を卒業する
こういった身近なモノの大切さに気づけたのは、それを「手放すかどうか」を考えたからです。
皆さんも、恋人や家族にもらった宝物があるのではないでしょうか。大切な宝物も、無尽蔵にモノが持てる環境であれば、数多の荷物のなかに埋もれてしまいます。
大切かどうかなんて考えることもなく、「とりあえず持っておく」という判断ができてしまうからです。
制限があるからこそ、あらためて自分にとっての価値と向きあい、「それでも手放したくない大切なモノ」かどうかに気づけるのです。
(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「いつも幸せでいられる考え方」を多数紹介しています。)