自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「現実に前向きになれる考え方」を紹介します。

「してあげたことのお返しがもらえなかった」とき、不幸体質の人は「悲しむ」。では、メンタルが強い人はどう考える?Photo: Adobe Stock

「さらば与えられん」の本当の意味

「与えよ、さらば与えられん」

 新約聖書の「ルカによる福音書 6章」にある、有名な言葉です。
 何かを得たければ、まずこちらから授けよ。素晴らしい教えだと思いますが、この言葉を額面通りに信じるあまりに「与えているのに相手からの見返りがない」と憤る人もいます。

 自分ばかり奉仕して、相手は何も返してはくれない。
 悲しくなる気持ちもわかりますが、この教えの本当の意味は、モノやお金といった見返りが得られるということではありません。

 それを表すように、キリスト教にはもうひとつ、ある教えがあります。
「恩送り」という考え方です。

「返せない」人にこそ、恩を送る

 聖書に、こんな言葉があります。

「昼食や夕食の会を催すときには、友人も、兄弟も、親類も、近所の金持ちも呼んではならない。その人たちも、あなたを招いてお返しをするかも知れないからである。宴会を催すときには、むしろ、貧しい人、体の不自由な人、足の不自由な人、目の見えない人を招きなさい。そうすれば、その人たちはお返しができないから、あなたは幸いだ。」
 ――ルカによる福音書 14章 12-14節

 お返しをしてくるような人ではなく、お返しができないような人に施せ。
 そう書いてあります。

 もちろん相手が誰であれ、恩を送ることがいけないわけではありません。そのうえで、「それを返す余裕すらない人に恩を送りなさい」ということです。

 誰もがこうすることで、より多くの人が幸福になれると考えているのです。

「恩返し」を求めず、「恩送り」をしてみる

「ペイ・フォワード」という映画をご存じでしょうか。

 その映画では11歳のトレバーという少年が、学校の社会科の授業中、担任のシモネット先生から「もし君たちが世界を変えたいと思ったら、何をする?」と問いかけられます。

 そこで彼は、こう考えます。

「他人から受けた親切を別の3人に返す。みんながそうすれば、やがて世界は変わるかもしれない」

 恩を「返す」のではなく、別の3人に向けて「前(フォワード)に送る(ペイ)」。やがてシャンパンタワーのように、ひとつのグラスに注いで溢れた恩が、次々と別のグラスに行き渡る。その恩を受けた人がまた別の人に「恩を送る」ことで、愛の連鎖が広まる。

 トレバー少年はそのように考えたのです。
 修道院の教えも、これとまったく同じ考えです。

「与える」ことに寛容な人は、「受ける」ことにも寛容になりやすいと言われます。つまり、「やってあげたのだから、してもらって当然」という姿勢です。

 そうはならないよう、恩送りの考えは大事にしたいところです。

(本稿は、書籍『不自由から学べること』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩まない人になれる考え方」を多数紹介しています。)