これらのコンテンツのブームに通底するのはグロを認める感性である。「認める」と書いたが、その実態は測りかねる。容認か、あえて直視を避けているのか、あるいは歓迎かもしれない。個人的な当て推量だとその割合は6:1:3程度であろうか。血が飛び散るような描写はコンテンツのメインでなく、あくまで彩り(それでも、そのコンテンツらしさを保証する不可欠な彩り)のような捉えられ方をしているようである。
年々過激になる表現と
どう付き合うか
過激な描写のハードルは年々下がってきている(過激になってきている)。社会現象になった『鬼滅の刃』(アニメ初回は2019年4月)の視聴推奨年齢はというと、劇場版『無限列車編』を参考にすると、映倫のレイティングでPG12だった。これは「全年齢視聴可能だが、12歳未満は保護者の助言・指導が必要」という区分である。鬼の首が飛ぶし、なんなら主人公たちは鬼の首を飛ばすことを目標に刀を振るうので、一部シーンにはどうしたって過激な描写が含まれる。
個人的な体験談だが、小学生低学年の頃にテレビで映画の『火の鳥』(おそらく宇宙篇)をやっていて、鳥のような人のような宇宙人が銃で撃たれて殺される描写がおそろしすぎて、あのとき受けた衝撃の感覚をまだ思い出せる。『鬼滅の刃』に比べればずいぶんおとなしいが、それでも当時の私にはあれが怖かったのである。
ドラゴンボールでピッコロの腕がもげたり、魔貫光殺砲を受けた相手の腹に穴が空いたりしたのはそのあとだったろうか。あの描写も当時は衝撃だったが、『ドラゴンボール』という作品の凄みを強化する一要素であることは間違いなかったし、感性はやがてその過激さに慣れていった。おそらくこうしたことの繰り返しが、過激描写のハードルを下げていくのであろう。
子どもを不適切なコンテンツから守りきるのはとても難しい。フィルタリング機能を駆使すればある程度は防ぐことができるが、先に紹介したように、流行っているものの流れがあまりにも大きいので、そのすべてを回避するのはほぼ不可能である。
例えば、ある親が「不適切」と判断したコンテンツAをネットから子どもに入らないようにがんばってすべてシャットアウトしたとしても、その子が放課後友達からふとAを見せてもらっただけで、子どもは不適切なコンテンツにさらされたことになる。