自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。ではどうすれば、「悩みやすい不幸体質」を卒業して、「絶対に悩まない人」になれるのでしょう。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。悲観でも楽観でもない、現実に対するまったく新しい視点に、「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「規則に対する不満が消える考え方」を紹介します。

「他人から怒られた」とき、不幸体質の人は「自分を責める」。では、メンタルが強い人はどうする?Photo: Adobe Stock

怒られてばかりだった修道院時代

 モノも持てない。娯楽もない。情報もない。
 修道院は「不足」ばかりの不自由な生活でしたが、そういった「ノイズ」がなかったおかげで、私は自分の頭で何かを考える時間が多くなりました。

 そしてしだいに意識が自分の外ではなく、「内」に向くようになったのです。

 たとえば私は朝が弱いので、お祈りの途中で寝てしまい、何度も怒られました。頑固者でおっちょこちょいなので、共同生活も苦手でストレスを感じていました。

「真面目に集中しなさい」
「みんなと仲良くしなさい」

 シスターから何度も注意を受けるたびに、規範に対して従順になれない自分を責めたくもなりました。

「規則を守れない自分」を、客観的に見てみる

 そんなときは、自分の内面を見つめるようにしていました。

「あの授業になるとなぜか寝てしまう。どうやら私はこの科目が嫌いなようだ」

「あの作業になるといつもミスが出てしまう。どうやら私はこのタイプの作業が苦手なようだ」

 すると、自分はどんなときに喜怒哀楽を感じるのか、何が好きで何が嫌いなのか、何が苦手で何が得意なのかなど、自分のことが少しずつわかっていきました。

不自由に対する感情を見つめると、
「自分」が見えてくる

 そしてこういった気づきを、反省ノートに毎日綴っていました。修道院では日々の出来事や思考、感情を書き出すノートが与えられていたのです。
 書くタイミングは人それぞれですが、多くの人は夕方の祈りのときか、寝る直前あたりに書いていました。

 想いのまま綴った記録が溜まるにつれて、自分の感情がいつどんなときに動くのかなど、自分の「思考や行動の癖」が自覚できるようになりました。私のノートはしだいに「自分の取扱説明書」になっていったように感じました。

 何もない不自由な修道院には、そんな「自分と向きあう」ための時間がいくらでもあったのです。

(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「不自由に悩まない人の考え方」を多数紹介しています。)