自分の生き方や置かれた状況に「悩む人」がいる一方で、同じ環境にいても「悩まない人」がいます。生きづらさを感じやすい現代社会では、「悩みやすい不幸体質」を卒業することは、重要な生存戦略です。
その方法を教えてくれるのが、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』です。12歳からの6年間を「修道院」で過ごした著者が、あらゆることが禁止された暮らしで身につけた「しんどい現実に悩まなくなる33の考え方」を紹介。「現実の見方が変わり、モヤモヤがスッと晴れた」といった声が多数寄せられています。この記事では本書より一部を抜粋・編集し、「悩まない人の考え方」を紹介します。

「毒親がイヤだ……」不幸体質の人は「自分も同じようになってしまう」と悩む。では、悩まない人はどう考える?Photo: Adobe Stock

「血縁や家系」という不自由

 変えられないもののひとつに、「血縁や家系」があります。

 誰しも父と母から生まれ、その父と母もまた、先祖がいたからこの世に生を受けています。生まれながらにして受け継いだ血や家系は変えることができません。

 であるからこそ、その事実が自らを苦しめることもあります。

「親が宗教信者だから、私もその信仰に従わなければいけない」
「親から虐待を受けていたから、私もきっと子につらくあたってしまう」
「親が犯罪者だから、私もまっとうな人間にはなれない」

 変えることのできない血や家系に悩まされている人は少なくありません。

血や家系が「運命」を決めるわけではない

 たしかに、避けられない足枷となる場合もあるでしょう。親から受けた教育によって形成された思考や価値観が、その後の人生でも自分を苦しめ続けることもあります。

 ですが、いくら親や親族であっても、血がつながっていたとしても、あなたとは別の人間です。

 カトリックの家系に生まれた私は、親と同じ道を歩んで修道院に入りました。
 とはいえ、あくまで自分の意志ですし、今はこうしてカトリックの修道的な教えとは少し異なる人生を歩んでいます。

 血や家系が、人の運命のすべてを決めるわけではないのです。

自分以外は、すべて「他人」

 もし本当に血や家系が運命を決定づけるのであれば、アダムとイブを始祖に持つあらゆる人類は生まれながらにして罪人です。

 たとえ親や親族であっても、自分以外の存在は所詮「他人」です。

 他人の運命を背負って、自分を呪ってはいけません

(本稿は、書籍『不自由から学べること ―思いどおりにいかない人生がスッとラクになる33の考え方』の内容を一部抜粋・編集して作成した記事です。書籍では他にも、「悩まない人の考え方」を多数紹介しています。)