――神宮球場の100年にはさまざまな出来事があったと思います。序章から終章まで長谷川さん色が出ていると思いますが、そのセレクトのポイントはなんだったのでしょうか。

長谷川:明治神宮、神宮外苑、神宮球場に関するさまざまな書籍や資料を読んでいる中で、自分が気になったこと、知りたくなったことを基準に選びました。いろいろな切り口を考えては自問自答を繰り返したんですけど、最終的にこだわったのは「私的好奇心」ということでした。

 まず、「神宮球場と○○」というテーマを作って、○○に当てはまるものを考えていきました。自分はヤクルトファンなのでもちろんスワローズがあり、早慶戦、花火大会、再開発、ツバメ軍団岡田団長などのキーワードがいくつか浮かび、それぞれ調べ、関係者に話を聞いて構成していきました。結果的に3年にわたる取材になりましたが、長い神宮の歴史のなかでも正史的な側面と記憶的な側面、両面をカバーすることを意識しました。

一人のプロ野球ファンとして見た再開発問題

――書籍内でも触れられていますが、神宮の歴史を描くうえで、近年の再開発問題はセンシティブな問題ながら、避けられなかったのではないかと思います。長谷川さんはもともと肯定派だったのでしょうか。

長谷川:愛着のある場所なので、「できればそのまま残してほしい」というのが率直な思いでした。その一方では、連日のように神宮球場に通っていて、数々の不具合も痛感していたので、「やはり建て替えた方がいいのかもしれない」という思いもありました。強いて言うなら、当初は賛成なのか、反対なのか、自分でもわからないどっちつかずの立場でした。

――取材を重ねるなかで長谷川さんの考えも変わっていったということでしょうか。

長谷川:変わっていきました。気持ちの揺れや心境の変化については書籍をぜひ読んでいただきたいのですが、反対派の主張も聞き、推進派の意見も聞き、その中で、「やっぱり建て替えた方がいいのだろう」となりました。

――長谷川さんの心の動きは書籍で読んでいただくとして、取材の中で印象に残った言葉などはありましたか。

長谷川:93歳になられた広岡達朗さんが口にした、「神宮球場は神聖な道場です」という言葉が印象に残っています。広岡さんらしい清新な言葉がとても美しかったです。