互いに手を携えて
「世界の定番」を目指す
戦後、日本の工業デザイナーとしての地位を確立したと言われる柳宗理は、天童木工(山形県)で「バタフライスツール」を作り、インテリアデザイナーの剣持勇はスタッキングスツールを秋田木工で発表している。飛騨産業(編集部注:栃木県に本社をおく家具メーカー)でも佐々木敏光など日本人デザイナーを招いた製作を行っていた。
「20代はデザイナーになったばかりだから、良い環境で仕事をしたいということを考えていました。それが30代になると、少しずつ自分が目指すピークはどこにあるのだろうと考えるようになった。世界の数人しかいない領域のデザイナーになりたいと自覚し始めたのは30代中盤ぐらいです。そして機が熟した時、マルニ木工と出会った。それは運命と言えるかもしれません」
マルニ木工は日本の木工家具メーカーの中心でありながらも、デザイナーとの作品発表は行っていない。深澤直人もまた、木工メーカーのプロダクトデザインをしたことがない。お互いが新しい挑戦をするタイミングで出会い、人生を切り結ぶほどの信頼を抱くことができた。
「僕にとっては、ブランド力やネームバリューは重要じゃなかった。むしろ一緒にやって行く上で、人間的にお互いが慈しみ合えることが重要でした。そんな相性の良さをマルニ木工には感じます。しかも、皆さん勉強家だった。やり通す胆力もある。そこへの信頼は、揺るがないです」
手を携えることを約束してくれた深澤に、山中武が依頼したのはふたつのことだった。
「ひとつは、うちの技術を活かした新しいデザインをお願いしたいということ。そしてもうひとつは、うちのクラシックシリーズを今の時代に合うようにモディファイしてくださいということです。この2つのプロジェクトをお願いし、快諾をいただいたのです。うちには資金がないという話を正直にしたので『経費負担以外は基本的にロイヤリティーで行きましょう』と言ってくださいました」

「結果は必ず後からついてきます」
自信を短い言葉にした深澤は、山中武、洋(編集部注:7代目社長。武の従兄弟)、日本に向かってこう言った。
「我々の手で、世界の定番を作りましょう」