松嶋菜々子の現役感と艶やかさが止まらない!「さみしさ」をじっくり描いた【あんぱん第3回レビュー】『あんぱん』第3回より 写真提供:NHK

日本人の朝のはじまりに寄り添ってきた朝ドラこと連続テレビ小説。その歴史は1961年から64年間にも及びます。毎日、15分、泣いたり笑ったり憤ったり、ドラマの登場人物のエネルギーが朝ご飯のようになる。そんな朝ドラを毎週月から金曜までチェックし、当日の感想や情報をお届けします。朝ドラに関する著書を2冊上梓し、レビューを10年続けてきた著者による「見なくてもわかる、読んだらもっとドラマが見たくなる」そんな連載です。本日は、第3回(2025年4月2日放送)の「あんぱん」レビューです。(ライター 木俣冬)

ドラマの本質が語られている
「さみしさ」にじむ第3回

 嵩(木村優来)がお気の毒。父・清(二宮和也)を病気で亡くしたばかりか、母・登美子(松嶋菜々子)には捨てられてしまった。

 第3回はちょっとさみしい回ではあるが、ドラマの本質が語られている重要な回だ。キーは「シーソー」である。嵩のモデルであるやなせたかしの詩にシーソーについて書いたものがある。それについて説明する前に第3回を振り返っていこう。

 ヤムおじさん(阿部サダヲ)の絶品パンを食べて、昔、銀座で父に買ってもらったパンを思い出した嵩。その思い出を絵に描いた。寛がその絵を褒め、「こじゃんと絵を描け。好きなものはやればやるばあ(やればやるほど)こじゃんと好きになる」と励ます。

 伯父さんはとても良さそうな人だ。人柄もいい、医者としての腕も立つだろう。そして裕福だ。でも妻・千代子(戸田菜穂)との間に子どもに恵まれなかったため、物心つかない千尋を養子にもらっていた。千尋はいまやすっかり寛の息子として生活している。