やなせたかしの詩
『シーソー』の考察

 千代子は1周忌もまだなのに再婚するなんて、と憤慨するが、寛は登美子の事情を知っていた。

 登美子が嵩を置き去りにしたという話は町中にすぐ広まる。釜次は「あれだけの美人や もう一花咲かせるつもりかもしれんぞ」と言いつつ「息子を厄介ばらいかい。それでも母親か」と非難する。

 のぶは心配して、嵩を探すと、ひとりシーソーに乗って沈んでいた。シーソーはふたりで乗るものだと、のぶは一緒に、「ギッコンバッタン」。

 嵩のモデルのやなせたかしは、シーソーの詩を書いている。『やなせたかし おとうとものがたり』(フレーベル館)の『シーソー』である。

「シーソーというかなしいあそびがある
一方があがれば
一方がさがる
水平になることは一度もない」

 この詩はひとりではできない遊び、シーソーによって、弟を失った悲しみに貫かれている。

 この詩集のなかには悲しみが詰まっている。母との別れも書いてあり、それはずばり『母とのわかれ』という詩だ。第3回は、それを参考にして描かれていると感じる。

「お母さんはすぐに迎えに来ますからね」という登美子の真意も、この詩を読むとわかる。第1週のサブタイトルは「人間なんてさみしいね」のとおり、さみしさが沁み入る。やなせたかしの本質はさみしさなんだろうなあと思う。

 ただ、ドラマでは、のぶが現れてふたりになる。

「嵩はうちが守っちゃる」と宣言するのぶ。

「ギッコンバッタン、ギッコンバッタン」という語り(林田理沙アナ)の声がやさしく響いた。

 このシーソーの構造に「ひっくり返る正義」を見ることも可能かもしれないと、筆者は思った。『アンパンマン』は簡単に「ひっくり返らない正義」の物語だ。世の中は常に上がったり下がったりしている。だからこそそうならないことを希求する。上でも下でもなく、水平になる瞬間をのぶと嵩がふたりで作っていくのではないだろうか。

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