街のお豆腐屋さんはほとんど男性が豆腐をつくり、女性が売り場を担当している。カミさんに相談すると「売り場を引き受けてもいい」と言う。計画の骨格ができた。

 定年が数年後に迫ったころ、大学生の長男と中学生の長女、次女に「父さんと母さんは定年退職したらバルセロナに移り住んで豆腐屋になる。だから君たちは学校を卒業したら家を出て自活してほしい」と告げた。

 子どもたちはしょっちゅう話を聞かされていたので、3人ともさほど驚かなかったようだ。長女は「豆腐アドベンチャー」と命名してくれた。

 そう、これはまさしくアドベンチャー、冒険だ。ヒマラヤに登ったりアマゾン川を下ったりすることだけが冒険ではない。なけなしの資金を費やし、住んだことのない国で、やったことのない仕事に挑戦することも、たいへんな冒険のはずだ。

 定年が近づくと、会社の同僚や上司にも「バルセロナで豆腐屋になる」と言いふらした。みんなに知られれば、もう冒険をやめることはできない。「1年延期して慎重に検討したら」と助言してくれた友人がいたが、それでも私の思いは変わらなかった。

 先延ばしすれば、決意が萎えてしまう。大江健三郎さんの本にある「見る前に跳べ」でないと、とてもやれないと思った。

 2007年秋、定年退職し、その直後から開業準備に追われる日々が始まった。スペイン語学校に通う。豆腐屋さんで修業し、中古の製造機械や道具を買い集める。バルセロナで店の物件を探し、改装工事を発注する、労働居住ビザ取得のための手続きを進める。……

 豆腐屋を開いたのは2010年4月、私が62歳のときである。