自分の国籍を嫌悪せざるを得ない市民が大勢いて、彼らは心の中で「異邦人」になり、中南米やアジアやアフリカなどから来る人との境界はぼやけてしまう。そのために私を奇異の目で見ることが少ないのではないか。
“食の問題”に対する答えは1つ
「バルセロナで豆腐屋になる」
歴史をひもといて、私の中でバルセロナはいっそう輝きを増した。私は40歳になっていた。「残りの人生」という言葉にもちょっぴり切実さを感じるようになっていた。
退職したらバルセロナに移り住みたい。そんな思いが芽生え、ふくらみ始めた。
だが、独りで移住することはできない。勤続25周年とやらで会社から「どこかへ1週間旅行して書類を提出せよ」と言われたのを機に、カミさんとスペインツアーに参加した。
バルセロナでは、市場でイチゴを買い、食べながら商店街を歩いた。野菜や果物、チーズやワインも豊富で安いことに驚いた。ガウディのグエル公園では辻音楽師のバイオリン演奏に聞きほれた。「この街なら住んでもいいわ」が彼女の結論だった。
旅の目的は果たされたが、私は別の問題に直面した。アジア系の食材店を訪れると、味噌や醤油などの調味料とともに、中国の人がつくったと思われる豆腐も売っていたのだが、日本の豆腐とは違う代物なのである。製造日も消費期限もはっきりしない。見た目も堅そうだ。冷ややっこや湯豆腐で食べることなど、私にはできない。
移住というからには何年間も暮らすことになる。最大の問題は食べ物だ。私は豆腐や油揚げ、納豆が大好きで、それらを何年間も我慢することはできそうにない。
では、どうするか。いくら考えても答えは1つしか思い浮かばなかった。
――バルセロナで豆腐屋になる。
定年後の冒険!
「豆腐アドベンチャー」
豆腐の作り方や製造機械の資料を集め、原料の大豆が入手できるか、凝固剤などを運べるか、調べてみた。開業に必要な資金の額も、おおざっぱながら試算した。思いつく限りの問題をチェックした結果、「できる」と判断した。