なぜ元事件記者は異国の地で「豆腐屋」になったのか?思わず聞き返したくなる意外な理由写真はイメージです Photo:PIXTA

「残りの人生をどう過ごすか」。これは、誰とっても大きな課題だろう。特に定年退職が迫った年代にとっては、より大きな存在感を放つテーマだ。著者・清水建宇は、長年勤めた新聞社を退職後、“バルセロナで豆腐屋になる”という決断をする。海外に移住しゼロから商売を始めるという大胆な挑戦には、どのような背景があったのだろうか。※本稿は、清水建宇『バルセロナで豆腐屋になった――定年後の「一身二生」奮闘記』(岩波書店)の一部を抜粋・編集したものです。

事件記者から名画の取材へ
突然の配置換え

「What Are You Doing The Rest Of Your Life?」。私の好きなジャズ・バラードだ。「残りの人生を、あなたはどう過ごすの?」と訳せるだろうか。歌詞は「1つだけお願いがある。私と一緒に過ごしてほしい」と続く。

 この歌を初めて聴いた1985年、私は38歳だった。人生の折り返し点が見え始めていた。

 余生、老後など、人生の後半を表す言葉はいくつかある。だが、「残りの人生」には曖昧を許さない小気味よい直截さが感じられて脳裏に刻まれた。

 同じころ、私は仕事の転機を迎えていた。新聞社で事件取材を長く担当し、東京の社会部でも警視庁記者クラブに所属して殺人などの凶悪犯罪を専門に追いかけていた。いつものように刑事たちの夜回り取材を終えて帰宅したところ、上司の警視庁キャップから「電話せよ」との連絡がポケットベルに表示された。「明日から「世界名画の旅」取材班へ配置換えだ」という。日曜版の2ページを使って名画にまつわる記事を書く仕事だ。

 私は即座に3つの理由をあげて断った。(1)外国へ行ったことがない、(2)外国語を話せない、(3)絵画の知識がない。キャップもまた即座に反論した。(1)取材の方法は外国でも同じだ、(2)通訳がつくから言葉の心配はいらない、(3)知識がなければ学べばいい。

 仕事の対象がいきなり殺人から絵画に変わって戸惑うばかりだったが、1つだけ心強いことがあった。ほかの担当記者たちも美術とは無縁の門外漢だったことだ。気を取り直して画集を眺め、本を読んだり研究者の話を聞いたりして準備を始めた。

 渡航費用を節約するため、1度に5回分のテーマをまとめて取材する。私はセザンヌ、ジオット、プッサン、オキーフ、シケイロスの資料を抱えて、初めての海外へ旅立った。帰国すると2ヵ月かけて5本の原稿を書き、次の2ヵ月間でまた5本の下準備をして海外へ出かける。

 画家の祖国と美術館を訪ねるだけで取材が終わることはない。1年半の間に訪れた先は15ヵ国の21都市に及んだ。