1973年に日本人で4人目となる
ノーベル賞を受賞した江崎玲於奈

京都市左京区にあり、明治以来150年の校歴を誇る私立の伝統校だ。キリスト教主義教育をバックに、男女共学の6年制中高一貫教育をしている。
卒業生にはノーベル賞受賞の学者がいる。
1973年に物理学賞を受賞している江崎玲於奈が旧制同志社中学(現同志社中・高校)の出身だ。旧制京都一中(現京都府立洛北高校)の入試に失敗し、神戸で1年浪人生活を送った後、同志社に入学した。飛び級で旧制第三高校(京都)を経て東大理学部に進学した。
東京通信工業(現ソニー)に勤務したのち米IBMトーマス・J・ワトソン研究所に移籍し、半導体内および超電導体内におけるトンネル効果の実験的発見の功績により、欧米の学者と共にノーベル賞を受賞した。筑波大、芝浦工業大、横浜薬科大の学長を歴任した。
日本人のノーベル賞受賞者は累計で28人。江崎の受賞は、湯川秀樹(49年、物理学賞)、朝永振一郎(65年、同)、川端康成(68年、文学賞)に次いで、4人目だった。28人のうち私立高校出身者は、江崎のほか野依良治(私立灘高校卒、2001年に化学賞)がいる。団体では、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が24年にノーベル平和賞を受賞している。
江崎は1925年3月12日の生まれだから、すでに100歳を超えた。存命の日本人ノーベル賞受賞者では最古参だ。
同志社高校は江崎以外にも多くの学者を輩出している。まずは気鋭の学者から紹介していこう。
京大教授の山中伸弥(大阪教育大附属高校天王寺校舎卒)が、「iPS細胞」(人工多能性幹細胞)を世界で初めて作製したことが評価され、12年にノーベル生理学・医学賞を受賞した。山中の一番弟子で、山中の論文に連名で名を連ねることも多い生命科学者の高橋和利(京都大iPS細胞研究所准教授)は、95年に同志社高校を卒業している。
高橋は生物学とは関係ない同志社大工学部を卒業後に、山中が助教授として赴任していた奈良先端科学技術大学院大学の山中研究室に最初の大学院生として入学した。以来、山中の研究を二人三脚で支え、とりわけ24個の遺伝子から山中因子を4つに特定した際には高橋の着想が大発見に直結した。米国グラッドストーン研究所研究員を経て、京大iPS細胞研に戻ってきた。
iPS細胞に関わる知的財産を管理し、これを用いての医療・医薬の開発と事業化を目指す企業に対し特許・発明などをする権利を許諾する専門の会社として08年に「iPSアカデミアジャパン」という会社ができている。この初代社長の村山昇作も同志社高校の卒業だ。村山は同志社大学から日銀に入り、退行後に帝国製薬の社長をした。実家は西陣織の織元だった。