
快活なルックスで、デビュー当時はホステスなどを演じた大原麗子。その後、しっとりとした日本的美人も魔性の女を演じ分けられるようになった。杉村春子は、映画では小津安二郎監督『東京物語』、舞台では森本薫作『女の一生』などで個性的な演技を見せた。2人が、五木寛之氏の心に残した言葉とは。※本稿は、五木寛之『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(新潮選書)の一部を抜粋・編集したものです。
遅刻した大原麗子の第一声
「体温が伝わってくるのっていいね」
大原麗子は本当にいい女優さんだった。演技がうまいとか、ルックスが魅力的だとかいうことではない。小柄で声も低くて、決して華やかではない。
しかし、それでいて不思議な存在感を漂わせている女性だった。
私が新人作家だった頃、ある雑誌で彼女との対談の企画があった。少し早目に会場の店にいって待っていたが、一向に本人があらわれない。
こちらも生意気ざかりの頃だったから腹を立てて、帰ろうとしたところへ彼女はやってきた。時計を見ると、30分ちかくおくれている。
当然恐縮して謝るかと思ったが、一向にその気配がない。私の顔を見て、いきなり言った言葉が「やっぱり体温が伝わってくるって、いいね」だった。
なんだそれは、と坐り直して話をきいてみると、どうやら新宿で唐十郎(編集部注/1940~2024年。劇作家・演出家・俳優。当時、公園や神社の境内に紅テントを建てて公演していた)の芝居を見てきたところだったらしい。
「もう超満員で坐るところがないの。仕方がないから若い大学生の膝の上に乗っかって観たの。お尻の下からじわっと体温が伝わってきて興奮しちゃった。やっぱり体温が伝わってくるのって、いいね」
まだアルコールもはいっていないのに酔った目がうるんでいた。コロナの時代に、ソーシャルディスタンスが強調され過ぎると、ふとその言葉を思い出す。
肉体をぶつけ合う密集の時代
観客と議論する俳優もいた
それは熱い時代だった。人びとは見知らぬ相手と腕を組み、デモに行き、シュプレヒコールを繰り返した。
三密を避けよ、とやたら対人距離をとることが叫ばれる今とちがって、人々は接触し、肉体をぶっつけ合い、口から泡をとばして議論しあう。若い仲間同志が殴りあい、批判しあう。
人々は密集し、密着し、密接に行動した。映画館では学生たちがやくざ映画に弥次をとばし、「異議なし!」と拍手をした。
舞台から降りて観客と議論する俳優がいた。観客参加の演劇が流行した。
「書を捨てよ、町へ出よ!」
というのが時代の合言葉だった。不要不急の人々が深夜の町を彷徨した。