「あなた、トモコと仲良しなんだって?」

「え?」

 いきなりの言葉にどう答えていいやらわからずに、私はすぐに反応することができず、ただ突ったっていると、杉村さんは身をひるがえして、たちまち姿を消してしまった。

「五木さんって、ダメな人ね」
杉村春子の後輩トモコの口ぐせ

 トモコ、というのが民藝の奈良岡朋子(編集部注/1929~2023年。黒澤明監督『どですかでん』、降旗康男監督『鉄道員』など映画にも多く出演した)さんのことだと気づいたのは、一瞬たってのちのことだった。

 奈良岡さんは、私にとって女友達というよりも、先輩といったほうがいい存在だった。1年に1度か2度、お会いするたびに私に議論を吹っかけてくる怖い人だった。

「わたしのほうが先輩なんですからね」

 と、彼女はふたこと目にはそう言う。

 たしかにちょっと年上ではあったが、まるで少女のように軽やかな人だった。

 奈良岡さんのルーツは青森である。東京で育ったチャキチャキの都会っ子だが、見事な方言を身につけていた。奈良岡さんが地元の言葉で詩を朗読すると、歌のようにきこえるのだった。

「五木さんって、ダメな人ね」

 と、いうのが彼女の口ぐせだった。

 奈良岡さんは自分でフォルクスワーゲンを運転していた。私はできるだけ同乗しないようにつとめていた。知的な外見とは裏腹に、激烈といっていいような勇敢な運転をする人だったからである。

 50年ちかいおつき合いのなかで、彼女に教えられたことは数多くある。その意味では、たしかに先輩といっていい存在だった。

 杉村春子さんが、そのときどんな含意で私に問いかけられたのかは、今もわからないままだ。

杉村春子 1906年~1997年
広島県生まれ。声楽家を目指して東京音楽学校を受験するも2度失敗。築地小劇場の広島公演を見て、1927年、研究生となる。1937年、文学座の結成に参加。舞台以外にも映画、テレビと幅広い分野で活躍した。森光子、高峰秀子、山田五十鈴、勝新太郎など名だたる名優たちへ影響を与えた。
対談に30分以上遅刻した大原麗子が“激おこ”の五木寛之を一瞬で虜にした「魔性のひとこと」『忘れ得ぬ人 忘れ得ぬ言葉』(五木寛之、新潮選書)