花田 基本的には、新聞などの大きなメディアが報じていることに対して、自分の実感として「本当にそうなのか」「違うんじゃないか」と思う感覚を大事にして、雑誌を作ってきたってことです。
売れる雑誌に必要なのは…
編集のプロが語る「読ませる工夫」
――しかし花田さんは、一部ではどうも「右翼の親玉」のように思われています。
花田 初めて会った人に「ものすごく怖い人だと思っていましたが、違うんですね。印象が変わりました」と言われることは確かに多い。ぼくがなんでそんな風に思われるのか分かんないんだけど。人当たりだってやわらかいだろ。
――タイトルが尖っているからじゃないですか。花田さんは『文藝春秋』を作るつもりでいたかもしれないけれど、やっぱりタイトルは週刊誌に寄っていると思います。〈ヤクザも呆れる中国の厚顔無恥〉(2005年7月号、渡部昇一)とか〈気色悪い温家宝の笑顔〉(2007年6月号、金美齢)、特集タイトルでも〈朝日を読むとバカになる〉(2014年9月号)、〈哀れな三等国、韓国〉(2012年12月号)といったタイトルは、やっぱり『文藝春秋』には載らないのでは?
花田 それはあるかもな。タイトルのことはよく言われるんだけれど、読んでもらうための工夫だから。タイトルが立たない、見出しのつかない企画はいい企画ではないわけで、これは編集の基本だと思っている。
――『諸君!』や『正論』でも朝日批判や中国批判、歴史認識問題は取り上げていましたが、それなのに後発の『WiLL』が部数を抜き去ったのは、何が理由だと思いますか。
花田 読ませる工夫でしょうね。『諸君!』は同じ文藝春秋だから、それなりにノウハウは近いと思うけれど、『正論』は真面目にやっているけど読ませる工夫、読んでもらうための工夫が足りないと思いますよ。
雑誌って必ず読まなければならないものではないし、大メディアとも違う。しかも始めから終わりまでじっくり読むものではなくて、ぱらぱらめくって面白そうなところを読むでしょう。だから「面白そうだな」と思ってもらわなければ始まらない。
そのためには、タイトルはもちろんだけど、中身についても工夫が必要です。何より、編集者が「これは面白い」とか、「これはちょっと違うんじゃないか」とか思うことをとっかかりにしなければ、面白い雑誌は作れませんよ。もちろん、売れなければいけないから利益も考えますが、基本的には自分が「面白い」と思うものを載せる。そうやって雑誌を作って、その雑誌が読まれたってことは、読者が共感してくれているということじゃない。