トンパは「山村で経を諳んじる者」や「知恵のある者」を意味し、トンパ文字で書かれた教典を読める宗教者(巫師)のことを指す。

 トンパ教の教典は現在までに約2万冊が確認されており、神話や伝説・歌謡・舞踏・葬祭の方法などが記されている。

 自然発生的な民族宗教であるトンパ教には、明確な教団組織や統一された教義は存在しない。トンパ文字についても、実はそれぞれの文字の読み方や意味は厳密に定められておらず、読む人によって意味が変わるとされる(トンパたちは先祖から口伝で意味を教えてもらっているので読めるという)。

 いっぽう、ナシ族の人々は木氏土司が解体された清代中期から中国文化の影響をより強く受け、その傾向は近代に入りいっそう強まった。中華人民共和国の建国後、トンパ教は「封建迷信」として禁止され、近年まではナシ族自身のあいだでも「遅れた文化」として忌避する人がすくなくなかった。

 特に1966年からの文化大革命の打撃は大きく、トンパたちの知識継承が広範囲で断絶したほか、多くのトンパ教典が失われた。

 トンパ文字が復活したのは、中国で改革開放政策が採用された1980年代以降だ。この時期はウイグル族や回族・満族など多くの少数民族のあいだで文化や宗教の復興が進んだが、それは麗江に暮らすナシ族も例外ではなかった。

 こうしたなかでナシ族の知識人からは、「民族文化」としてトンパ文化を対外的にアピールする動きが出た。社会主義体制下ではトンパ教の宗教的な要素を前面に出すと制約が多くなるため、あくまでも文化として強調する方針が採られたのだ。

復活させたトンパ文化
雲南省観光の目玉だが…

 いっぽう、こうした文化復興と足並みを揃えるようにして進んだのが、瓦葺きの伝統家屋が多く残る旧市街地域・麗江古城の観光地化である。

 麗江古城は街並みの美しさから、1986年に中国国務院によって国家歴史文化名城に指定され、さらに1997年12月3日にユネスコにより「Old Town of Lijiang(麗江旧市街)」として世界文化遺産に認定された。

 街のシンボルである木府は、清末に起きた回民蜂起であるパンゼーの乱(編集部注/1853年に回族が清朝に虐殺されたことをきっかけに、1856年にムスリムが武装蜂起。雲南省西部の都市・大理を占領して清朝からの独立を宣言し、省都昆明をたびたび包囲した)と中華人民共和国建国後の文化大革命で完全に破壊されていたのだが、1999年に麗江の地方政府による世界銀行からの借款で再建された。