歴史ある中国奥地の秘境が
観光地化によって破壊される

 トンパ文字の故郷である雲南省の麗江の街も、世界的に有名な観光地だ。雲南省はナシ族を含めて、中国の56民族のうち25民族が暮らす。そのうち、雲南省だけに住む民族が15もいるなど、少数民族の宝庫として知られる土地である。

 省都の昆明市は沖縄本島と同じくらいの緯度に位置するが、平均海抜が約2000mという雲貴高原にすっぽりおさまる形で省全体が位置しているため、気候はきわめて穏やかだ。

 風景が非常に美しく、中国国内でも人気の旅行先として知られている。

 ナシ族たちの歴史的な中心地である麗江市の旧市街・麗江古城は省内の東北部、チベット高原の入り口に位置する。かつてのナシ族の支配者だった木氏の巨大な屋敷である「木府」を中心に、木造家屋が軒を連ねる景観の美しさは世界的にも評価が高い。

 ただ、筆者自身も学生時代に現地を訪れたことがあるが、当時(2003年3月)ですら観光化と商業化が激しく、なんとなく作り物めいた雰囲気があった。ガイドブックやテレビの旅行番組で描かれる「中国奥地の秘境」のイメージとの乖離(かいり)は激しく、すくなからず失望した記憶がある。街の雰囲気は、日本の飛騨高山や妻籠宿あたりのほうがずっと風情がある印象だった。

 中国の旅行系動画配信者のムービーで現在の様子を眺めると、中国の観光地にはつきもののネオンサインの洪水や、真新しい建物に入居した画一的な土産物店を確認できる。近年はいっそう、俗っぽい雰囲気の場所に変わっている模様だ。

 不思議な文字を現代まで伝える、ミステリアスな高原の民――。トンパ文字から受けるそうした先入観とは異なり、現実のナシ族は、現代中国の資本主義に過剰なほど組み込まれている。

 ナシ族たちは、彼ら固有のアニミズム(精霊信仰)や祖先崇拝を基盤に、チベット仏教やボン教(チベット系の土着宗教)の影響も受けて、民族宗教の「トンパ教」を作った。このトンパ教の宗教文書で用いられてきたのが、本稿冒頭でも紹介したトンパ文字である。

トンパ文字の経典は2万冊あり
読める人は宗教者になれる

 トンパ文字の起源は、7世紀ごろ(唐・南詔時代)のシャーマンの絵文字であるとも、もっと古い紀元前(春秋時代)の巴や蜀の符号文字とつながりがあるともいうが、いまだ不明な部分が多い。

 ほか、ナシ族は漢字と似た外見の「ゴバ文字」(哥巴文字)という別の文字も持つが、こちらも謎が多く、トンパ文字とゴバ文字のどちらが先に成立したのかもよくわかっていない。