ちなみに1996年には麗江市付近を震源とする大地震が起きて多くの人命と伝統家屋が失われ、これを機に建て替えられた建物も多かった。

 街の様子が大きく変わりつつあるなかでも、麗江古城の知名度は国内外で向上していき、ナシ族の知識人たちが復活させたトンパ文化を観光の目玉にしようとする動きも強まった。地元政府主導のトンパ文化祭りなども、盛んにおこなわれるようになった。

 2000年代前半以降の日本におけるトンパ文字ブームも、一連の麗江古城の観光地化によってトンパ文字の存在が海外に知られたことで始まったものである。

観光化と知名度向上の背後で
文化や歴史が失われていく

 近代に入り衰退を続けていたトンパ文字は、麗江古城の観光開発によって「復活」した。

 ただし、これは正確にいえば、観光スポットとして注目された土地にかつて存在した不思議な文字が、ナシ族自身の文化復興活動と地方政府を巻き込んだ観光利用によって外部からの好事家的な関心の対象になり、商業化されたことで知名度が向上した――ということである。

 結果、トンパ文字やトンパ文化は、麗江古城で暮らしていたナシ族たちに経済的な豊かさをもたらした。

 だが、このことはナシ族の伝統的な暮らしを決定的に変える要因にもなった。彼らは伝統的な家屋を離れて都市部に移り住み、その結果として土地のコミュニティに根付いていたトンパの文化や祭祀(さいし)も往年のような形では継承されなくなり、トンパ文字は本来の宗教的な意味を失ってしまったのだ。

 もちろん、開発や観光化による少数民族の文化の破壊は、中国に限らず世界各国で見られる現象だ。ただ、マイノリティの文化保存についての意識が低く、商業主義的な傾向が特に強い中国において、この問題はいっそう深刻な形で進行する。

 近年、麗江古城では従来徴収されていた入場料が廃止されたり、バーの新規開業制限やネットカフェの営業禁止措置がなされたりと、過度の観光化にブレーキをかける動きも出ている。ただ、もともとの住民がいなくなり、すでに壊れた文化は簡単には元に戻らない。

 かわいいトンパ文字の背後に、そんな寂しい現実が存在することは知っておきたい。