「姉が弟や妹に母親の立場を取る時、これも姉がまたもや優越した立場にあるということであって、自由にふるまい、支配できるのである」(前掲書)

 また、他のきょうだいとの競争に勝つ子どももいます。ただし、冷遇されていると感じ、そのことが「前へと駆り立てる」(前掲書)のであり、嫉妬心が根底にあります。

 第一子だけではなく、自分が冷遇されていると感じた子どもは他のきょうだいに激しく嫉妬します。妹が兄を凌駕(りょうが)するのは珍しくないとアドラーはいっています。

「少女は冷遇されているという感覚の中で棘を感じ、そのことが絶え間なく少女を前へと駆り立てるので、妹が熱意とエネルギーによって兄をはるかに凌駕することに成功するのは、珍しいことではない」(前掲書)

なぜ人は嫉妬するのか、子どもの頃にある「決定的なきっかけ」とは?『妬まずに生きる』(岸見一郎、祥伝社)

 親が兄を男の子であるという理由で優遇するようなことがあれば、そのようなことも起こります。しかし、冷遇されていると感じて兄に嫉妬した妹が兄に競争を挑み勝ったとしても、その勝利がずっと続くとは限りません。

 そのようなことがあって、思っているような注目を親から得られないと、弟や妹に愛情を向ける親に嫉妬する第一子は、??られてでも、親に注目されようとします。また、それまでは例えば、夜1人で寝られていたのに、親から離れて寝られなくなったり、夜泣きしたりして親を困らせることもあります。嫉妬する子どもはこうすることで、親の注目を再び得ようとするのです。

 嫉妬が「しばしば人間に生涯にわたってまつわりつく」(前掲書)とアドラーがいうのは、後の人生においては、人を替えて嫉妬するということです。子どもの頃きょうだいに向けたのと同じように、嫉妬するようになるのです。