あとから生まれたきょうだいは
子どもにとって「完全な変化」

 アドラーは「野心と共に」(前掲書)嫉妬を発達させるとも、冷遇されたと感じて発達させた「他の形の野心」(前掲書)が嫉妬であるとも説明しています。アドラーは「美しく響く言葉」(前掲書)として「野心」を使うことがあるといっていますが、実はこれは「虚栄心」でしかありません。虚栄心は、自分を実際よりもよく見せ、人から認められようとすることです。

「総じて、認められようとする努力が優勢となるや否や、精神生活の中で緊張が高まる。この緊張は、人が力と優越性の目標をよりはっきり見据え、その目標に活動を強めて、近づくことを試みるように作用する」(前掲書)

 野心(実は虚栄心)のある人は力を持ち優秀であることで認められようとしますが、子どもの頃は、他のきょうだいに優るために、この「野心と共に」(前掲書)嫉妬を発達させるのです。

 敵対的、攻撃的な態度を取るようになると、「子供の嫉妬においてすら」(三木清『人生論ノート』)嫉妬は陰険なものになります。アドラーは6歳の少女の事例を引いていますが、妹が生まれた時、それまでは比較的快適な状況にいたのに、彼女の中に「完全な変化」が起こり、妹を激しく憎んでいじめ始めました(『性格の心理学』)。この少女の嫉妬は自分の妹だけではなく、自分より年下の少女にも向けられました。

 そのような経験をし王座から転落したと思った人は、大人になってからも、自分にだけ向けられていた注目、関心、愛情が後から生まれた弟や妹に向けられた時のような経験をして、その時と同じように王座から転落するのではないかと恐れます。「今再び王座から転落するのではないかと予期している」(前掲書)というのは、そういう意味です。

 ただし、このような状況に置かれた子どもが必ず激しい敵意を持つわけではありません。

「姉や兄が弟や妹に強い愛着の念を感じ、母親のように感じることもありうる」(前掲書)

 これも弟や妹に嫉妬するケースと同じであるとアドラーはいいます。