自分自身に価値があると思えるというのは、自分が生きていることがそれだけで価値があると思えるということです。このようにいうことがあまりに唐突で、そのように思うことが難しいとすれば、子どもの頃から人の価値を生産性で見ることが当然である社会の中に生きてきたからです。

 そのような社会では「存在」ではなく、「行為」、つまり何を成し遂げたかによって自分の価値が決まると多くの人が思っています。その意味での価値がない人を社会から排除しようとする人がいます。そのような人は自分もまた歳を重ね、また若くても病気などで身体を自由に動かせなくなることなど考えたことがないのかもしれません。

生きているだけで価値があるのは
幼い子どもたちだけではない

 生きていることに価値があるというのは突拍子もないことをいっているわけではありません。幼い子どもは何もしていなくても、まわりの大人に幸福と喜びを与えます。何もしていないから価値がないと思う人はいないでしょう。子どもが生きているだけで価値があるのであれば、大人もまた同じであっていけない理由はありません。

 子どもはやがて大人の援助がなければ片時も生きられなかった状態を脱し、大抵のことを自力でできるようになります。大人になって働くようになった時に、成し遂げることで他者に貢献することは当然できますが、それでも、基本は生きていることです。生きていることに価値があり、生きていることで他者に貢献できるのは、子どもの時と同じです。

 属性は相対的な価値なので、ずっと保てるわけではありません。歳を重ねればできなくなることも増えていきます。だからこのように考えてみればいいのです。何かをできる時はそれをすることで自分に価値があると考えてもいいのですが、病気や高齢のために何もできなくなったからといって、自分に価値がなくなるわけではありません。つまり、価値は絶対的なものであり、絶対的な価値は行為では測れず、存在の次元での価値は他者と比較することはできないということです。