雑誌というものは売れていなくては広告が入らないので存続できないし、取材費も捻出できない。というわけで、とにもかくにも「売れるネタ」が必要不可欠だ。そのためにはプライバシー侵害もするし、名誉毀損も辞さないものなのだ。
しかも、もっと言えば、今回の「LINE暴露」は文春という「エンタメ雑誌」の編集方針的には何十年も続けてきた「王道」路線だ。週刊文春の元編集長の新谷学氏はかつてこのようにおっしゃっている。
事件や出来事の核心をつかみ、生のまま読者にお届けしたい。きれいに加工して特徴のないものにするより、その素材の良さを生かして新鮮なまま届けたいと思っています。(2017年3月8日 ダイヤモンド・オンライン)
テレビや新聞という「報道機関」がよく掲げている「中立公正」「人権の尊重」「社会の公器」なんて美しい言葉はどこにも出てこないことにお気づきだろうか。
相手から訴えられたとき、週刊誌側は訴訟戦略的に「公益性・公共性」というのを持ち出すだけで、別に週刊文春の編集方針にはそんなものは入っていないのだ。筆者も長いことこの世界で働いているので、いろんな編集部員と会ってきたが「このネタは公益性があるのでやりましょう」と言っている人はあまり見たことがない。
これは文春に限らず、すべての週刊誌に当てはまる。もともとこのジャンルは、週刊新潮を創刊した斎藤十一の「君たち、人殺しの顔を見たくないのか」という言葉に象徴されるような、極めてゲスな野次馬根性から誕生した「人間エンタメ誌」なのだ。
そういう出自と新谷元編集長が掲げた「当事者の肉声へのこだわり」という文春の姿勢を鑑みれば、なぜああいう形で、永野さんと田中さんのLINEが晒されたのかも理解できるのではないか。