しかし、文春は違う。軽減税率も受けていないし、記者クラブの世話になってもいないし、総務省から免許も受けていない。基準は「対象に肉薄」「当事者の告発」なので、下根氏にどんな政治的意図があろうとも、そこに「売れる」という要素があれば、躊躇なく乗っかることができるのだ。

 これこそが週刊誌というエンタメ雑誌の「強み」であり、文春が政界・財界・芸能界問わず内部リークが集まってくる最大の理由なのだ。

「それはわかったが、だったら政治や企業のスクープだけをしっかりやって、芸能人の不倫なんてどうでもいいからやめるべきだ」という人もいるだろうが、雑誌存続のためにはそれは難しい。

 石破首相の政治資金収支報告書不記載疑惑よりも、永野さんと田中さんのLINE暴露のほうが「売れる」ことは言うまでもない。営利企業としては政治・企業のスクープという事業を続けるためにも、「稼ぎ頭」である芸能人のプライバシー侵害・名誉毀損という事業もしっかり続けざるを得ないのだ。

 しかし、そんな週刊誌のビジネスモデルも限界にきている。ベッキーさんの不倫疑惑を報じてLINE暴露をした際には「恐るべし、文春砲!」などと称賛されたが、9年たってあれと同じことをすると「やりすぎ」「暴力だ」「公共性を考えろ」などとボロカスだ。コンプライアンスの嵐が、いよいよ文春にも訪れて、週刊誌記事にもモラルや公益性が求められる時代になったのだ。

「君たち、人殺しの顔を見たくないか」という週刊誌のゲスな野次馬根性を少しでも見せてしまうと、今の時代は「人殺しにもプライバシーがあるぞ!」「人権侵害だ!」と炎上して謝罪に追い込まれてしまうだろう。

 個人的には右も左もわからない若造のときから多くのことを学ばせていただいた恩のある業界なので寂しくもあるが、いよいよ「週刊誌の終わり」が近くなってきたということなのかもしれない。

(ノンフィクションライター 窪田順生)

永野芽郁と田中圭のLINE暴露で文春批判が続出…「やりすぎ」とド正論を振りかざす人が知らない「週刊誌報道の実態」