世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です。

【ショートストーリー】「あなた正気ですか?」と営業から言われた話Photo: Adobe Stock

楽を繰り返しても成果は出ない

ぼくが20代で地方に左遷されたとき。
売上を増やすために足しげくお客さんの会社に通った。

でも担当した大手のA社はガードが固くて有名だった。

「今は忙しいので」
「他社を使っているので」
「検討できるテーマがないので」

足を棒にしてあちこちを回ってもことごとく蹴り飛ばされてぼくは意気消沈する。

そんなとき。
プルル、プルル。
A社の設計、Cさんから電話が来た。

「商品Dをカスタム対応してくれませんか?」

カスタム対応。お客さまの専用品を開発する。

かなり手間はかかるけど大きなプロジェクトになりやすいのが特徴だ。

「ぜひ検討させてください。注文数と価格の希望はありますか?」

(タイが釣れるかもしれないぞ)
ぼくがウキウキしながら確認すると、

「注文は月100個で価格は1,000円です」

(月に10万円かよ…)
ぼくはショボンと肩を落とす。

手間だけかかって儲からない。フグみたいな案件だった。

「申し訳ありません。その内容では難しいかと」
ぼくはサッと危険物をリリースしようとする。

「そこをなんとか。重要なプロジェクトなんです。検討だけでもしてくれませんか?」
「…わかりました」

案件探しに苦戦していたぼくはしぶしぶと検討を引き受ける。

でも金額以外にもう1つ、ぼくには気が乗らない理由があった。

プルル、プルル。
重たい手を動かして商品部の同僚・Fさんに電話をする。

「はい。Fです」
「お疲れさまです。商品Dのカスタム対応を相談したいのですが」
「月の注文数と希望価格は?」

事務的な返事が返ってくる。
ぼくはおそるおそる切り出した。

「注文数は月100個で価格は1,000円なんですが…」

フッ。
電話越しに鼻で笑われた。

「いやはや。こんな食えない案件を持ち込んでくるとは。あなた正気ですか?」

このFさんはマウントをとることで有名だ。

他の営業メンバーもよく撃沈している。
あまりの物言いにムカッときたがグッとこらえる。

Fさんはさらに覆い被さってきた。

「いいですか? カスタム対応にはエンジニアが1年間は付きっきりになります。人件費だけで1,000万円はかかる。月10万円の案件では煮ても焼いても食えませんよ」

(わかっとるわ!)
と言い返したくなるのをグッとこらえて、ぼくはFさんに聞き返した。

「では…価格が10,000円なら対応してくれますか?」

もし価格が10,000円なら月に100個の注文で100万円。
年間だと1,200万円の取引になる。

フフッ。
またFさんに鼻で笑われる。

「もちろんいいですよ。ただこの商品のコストは500円です。10,000円で買うようなクレイジーな客がいるならね」
「…わかりました。約束ですよ」

ムカッ腹をこらえて言質をとる。
かすかにFさんの声音が変わった。

「…本気で提案するんですか? 怒られるだけですよ」
「提案はします」

(重要なプロジェクトなんです)
Cさんの言葉が脳裏をよぎる。
バカげた提案だとしても、まずはお客さまに伝えようと腹をくくる。

Fさんとの電話を終えて、すぐにA社にアポを取る。

そして2日後。
A社のオフィスを訪れてCさんと向き合った。

「商品Dのカスタム対応の件です」
「対応いただけますか?」

Cさんがグイッと身を乗り出した。

「カスタム対応はできます」
「おお。助かります」

「でも今の条件では無理です」
「と言いますと?」
「価格を10,000円にさせてください」

Cさんの目がフグみたいに丸くなる。

「は? ケタを間違えてませんか。商品Dのコストは500円位ですよね?」
Cさんも設計者だ。こちらの手の内はバレている。

「間違えていません。10,000円です」

(ふざけんなよ!)
Cさんが目線でぼくを刺してきた。

でも1,000円ではフグの調理はできない。
お値段10倍をめぐるバトルが始まった。

「正気ですか? 商品Dが10,000円になる意味がわかりません!」

非難の目線を向けるCさんにぼくはていねいに説明した。

エンジニアが1年は付きっきりになること。
10,000円にしないと人件費すら確保できないこと。

説明を聞いたCさんは困った表情になる。

「…弱ったな」
「何がでしょう?」
「“値段が10倍になりました”と部長に説明できないです」

確かに「ふざけてるのか!」とドヤされるのがオチだ。
ぼくも自分がCさんなら気が重い。

「わかりました。では部長を呼んでいただければ私から説明します」
「え…でも大丈夫ですか?」
「はい」

Cさんは目の前で電話をかけ始めた。

「あ、部長ですか。商品Dの件ですが、価格を10倍にするなら受けると…いや、大マジメらしいんです」

15分後、部長がやってきた。

「商品Dが10,000円とは…本気ですか?」
「はい。これでもギリギリです」

もう一度、カスタム対応に必要な費用を説明し直す。

(提案はムダにはならないはずだ)
ぼくの説明を聞いてから部長は一言だけ口を開いた。

「言い分は分かりました」

(スジは通したな…)
10倍の価格を提示して“うん”と言われるとはさすがに思わないけど、やることはやった。

ミーティングから2週間後。
Cさんから連絡が来た。

「商品Dのカスタム対応、10,000円でお願いします」
「え? いいんですか?」

「他社にはすべて断られました。このプロジェクトには商品Dのカスタム対応が必要なんです」
「分かりました」

ぼくはあわてて同僚のFさんに連絡する。

「A社のカスタム案件、10,000円でOKが出ました」
「え? 10倍の価格ですよ?」

「事情を理解してもらいました。やってくれますよね?」
「そりゃ10,000円ならもちろん…こんな高単価の案件は初めてだなぁ。エンジニアを手配しないと」

Fさんはモゴモゴ言いながらも社内調整を進めてくれた。

1ヶ月後。それぞれの技術者が集まって商品Dのカスタム検討が始まる。

「ここの形状を変えてほしい」
「もう少し性能を出せませんか?」

そしてプロジェクトが始まって半年後。
想定外の誤算が訪れた。

プルル。
Cさんから電話が来た。

「商品Dですが…。想定外のことが起きまして」
「え…? なんですか?」

「注文数が予定の10倍に増えそうです」
「え? 10倍ですか?」

「はい。試作品を見たウチの営業が“もっと売れる”と言っています。対応できますか?」

ぼくがすぐFさんに連絡をすると、

「もちろんやります! いやー。最近は良いテーマが少なくて。ザコみたいな案件がこんなご馳走に化けるとは。ありがとうございます!」

現金な言葉をならべるFさんの目がドルマークになっている様子が思い浮かんだ。

このA社のテーマはドル箱案件となり、ぼくは社内で“500円の商品を10,000円で売ったらしい”とヒソヒソ噂された。

ポンコツ営業だったぼくはこの体験で自分の失敗に気づく。

うすっぺらい活動は時間のムダ
楽を繰り返しても成果は出ない

うまくいかなかった時期は工夫のないペラペラな提案をひたすら繰り返していた。

時間をロスしたと思い知る。
楽してタイが釣れることは滅多にない。

面倒でもテーマを深掘りする方がチャンスは生まれるのだ。
うまくいかないときほど今も思い出している。

このときからぼくは仕事でフグみたいな案件によく巡り合うようになった。

たまに食あたりしてダメージを負うとコンビニアイスで心を癒している。
タマニハタイタベタイ

(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です。