世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)

苦しいときの努力は人を強くする
居酒屋で。同期Aとの会話。
「久しぶり! 元気にしてたか?」
Aとは研修で久しぶりに顔を合わせた。こうして飲むのは2年ぶりだ。
「きつい。客がヤバい」
Aはポツリとつぶやきながらビールグラスを傾ける。
こいつは大手のB社を担当している。2年前と比べてやつれた気がした。
「そ…そうか。オレもお客さんが厳しくてさ」
(こいつ、こんなに暗かったか…)
どんよりしたオーラに心がざわつく。
「お前とは比べ物にならん」
ちょっとカチンときた。こちらも大変は大変なのだ。
するとAはスッとケータイの画面を見せてきた。
「これは…?」
「見たらわかるだろ。これは客からの着信」
9:00、9:02、9:04、9:07。
ストーカーみたいな着信履歴がズラッと並ぶ。
「これ…何かあったのか?」
「いや。ただ“見積もりが欲しい”って連絡だった」
「…なんで何回もかけてくるんだ?」
「いつもこんな感じだよ」
「朝イチからこれは気が滅入るな…」
ぼくの一言にAがスッと目を細めた。
「お前、勘違いしているな」
「え、どういうこと?」
「この着信、土曜日の朝だから」
「は? 土曜日?」
「そう。シャワーを浴びて出てきたら着信だらけだった」
「休日だろ…」
「コイツらには関係ない。後で『なんで出ないんだ』って怒鳴られたよ」
「ひどいな…」
ぼくは思わずうなり声を上げる。
「この間は外出中に電話を取れなくて」
「うん…」
「そしたら“至急”って書かれた同じ内容のメールが15件も入ってた」
「嫌がらせやん…」
「もっとムカつくことがある」
「…まだあるの?」
「休みの日にゴルフコンペがあるから“見送りに来い”って言われた」
「見送り?」
「スタートホールで“ナイッショー”って言って見送るためにゴルフ場へ行ったよ」
おそるおそるAにたずねた。
「…上司は助けてくれないのか?」
Aはかすかに首を横に振る。
「B社は100億の取引があるからな。他社もヘコヘコしているしウチの会社も言いなりだよ」
「…大丈夫か?」
(こいつ辞めるんじゃないか?)
仕事がつらくてフェードアウトしてもなんの不思議もない。
Aはガシッとぼくの目を見据えた。
「オレ、英語と中国語を勉強してる」
「どうして?」
「今の場所から脱出したい。海外赴任を志望してる」
「でも…忙しいやろ?」
「それでもやる。この地獄から抜け出す」
「…わかった。がんばれよ」
これは17年前。
ぼくが25歳のときの話。
2年後。猛勉強をやり切ったAは同期に先駆けて海外に旅立った。
そのあと10年間。3ヶ国語を話せる人材として大活躍する。
Aを見て強く感じたことがある。
苦しいときの努力は人を強くする
通常の何倍も。いや、何十倍もだ
逆にB社は経営難におちいり、リストラや事業縮小に追い込まれた。
“因果応報”
この言葉が脳裏をよぎる。
つらい環境でも諦めなければ、いつかは自分に返ってくると信じて。
今日もコツコツがんばろう。
Aと最後に会ったのは、ぼくが転職する直前だ。
「新天地でがんばれよ」とゴルフボールを手渡された。
先日、ゴルフ場に行ったとき。
ぼくはAがくれたボールを取り出す。
「あいつのように粘り強くたのむぞ」
ボールに想いを込める。
カキーン。
朝イチのショットは右45度にフェードアウトしてポチャンと池に吸い込まれた。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)