友人は多いほうがいいという
固定観念に違和感を抱く
子どもや子を持つ親に、余計なプレッシャーを与えることになったのではないか、と思われる。
わたしはといえば、各学校でわりと友人はいた。
勤めているときも、それなりに付き合いはあったのである。
が、人付き合いが好きか、というとそうでもなかった。
定年になると、付き合う人間の数は減った。元々少ないうえに、減ったのだから、激減といっていい。
現在はもっと減って、全国に数人である。それでなんの問題もない。だから、1年のうちに、だれかと会うということはほとんどないのだが、それでいい。十分である。
最近は友だちなど、いなくていいという人が増えていいことである。
わたしはいらないとは思わないが、無理に作ろうとも思わない。とくにじいさんになってからはなおさらである。
それにわたしは友情には希薄かもしれないという意識がある。
世間ではほんとうの友情があるというような話をきく。スポーツ選手に多いような気がしている。

勢古浩爾 著
日本の男子バスケットボールをこれまで支えてきた選手たちを描いたNHKの番組を見た。佐古賢一氏とその仲間たちの友情が熱かった。
山中伸弥氏と平尾誠二氏の友情も、傍目には羨ましいような関係であった。
わたしはけっこういい加減な男である。
友人甲斐のない男かもしれない、と思わないでもない。
いまさら、そんなことをいってもどうしようもないが。
もっと早く気づけよ、という話である。