先生は小学生相手に、ときどき真剣を持ってきて、初歩的な居合抜きを教えてくれたりした。先生の左手の親指と人差し指のあいだに、納刀のときに切った傷がいくつもあった。
この部も気持ちよかった。母が作ってくれたうす紫色の竹刀袋に入れて竹刀を持ち歩くのが、誇らしかったことを覚えている。
「一年生になったら」の歌詞は
子どもを舐めている!?
中学は王子中学というところに行った。
この1年のときのクラスがまたよかったのである。学校が楽しかった思い出は、このときの1年間だけである。
なんの屈託もなかった。担任の牛島先生もよく、わたしは小中高を通じていじめられたことは一切ないが、王子中学1年のこのときのクラスほどよかったクラスはない。
しかし、そのクラスは1年で終わった。
中学2年で、佐賀県の伊万里中学に転校したのである。
この転校は猛烈に嫌だった記憶がある。
大分弁は愛媛や高知と親近性のある「やっちょるき」言葉で、福岡、佐賀、長崎の「よか」言葉とはまったくちがうのだ。
伊万里でもそれなりに仲のいい友だちはできたが、それでもこのあたりから、友人付き合いに屈託を覚えるようになった気がする。
それ以来、わけのわからない屈託が解けることなく、ここまできた。
人間関係が苦手ということが、友情を希薄にしているかもしれない。
威張っていうことではないが、わたしは友だちが少ない。
が、卑下することもない。
親は、子どもに友だちがいないと心配になるだろう。
まどみちおに「一年生になったら」という詩がある。1年生になったら友だちが100人できるかな。もしできたら、富士山の上で100人でおにぎりを食べたい、100人で日本一周をしてみたい、100人で笑いたい、といったような詩である。
あの有名な「ぞうさん」もそうなのだが、まるで子どもを舐めたような詩である。子どもや親をざわつかせるだけの、ふざけた詞だというほかはない。
友だちは多いほどいい、といいたいのか。
友だちが多い人間は、交際上手の明るい人間で、友だちがすくない人間は、ネクラでだめな人間ということか。