世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)

在庫が厳しい大ピンチにぼくを救ってくれた魔法の言葉Photo: Adobe Stock

「在庫がありません」

午後4時。

「ちょっと来てくれ」
ぼくは会議室に呼び出された。

ガチャ。
トビラを開けると…部長と課長が座っている。

「なんでしょう?」
「すまんが明日から2ヵ月、東北のA工場に行ってくれ」

「え? 明日からですか?」
移動だけでも4時間はかかるし、急すぎて脳みそが混乱する。

「注文が増えすぎて人手が足りないそうだ。在庫の管理を手伝ってきてほしい」
「あの、自分の業務は…」

「他のメンバーで回すから」
「…わかりました」

サラリーマンにNoはない。
ぼくは慌てて支度を済ませて次の日にA工場に向かった。

(ドタバタしてるんだろうな)
覚悟を決めて門をくぐると
カタカタカタカタ。

オフィスは静寂に包まれていた。

みんな席に座って静かにパソコンと向き合っている。
(想像と違うな…)

「じゃあ、在庫の管理をよろしく」
工場の人たちにあいさつを済ませる。

ぼくはパソコンを与えられさっそく仕事を開始した。

ピロン。
さっそく営業メンバーからメールが来た。
(なになに…“S社で在庫が不足しています。すぐに商品Zを出荷してください”)

システムをチェックすると在庫の余裕が少なかった。
(緊急そうだけどな…)

判断に迷って工場の人に相談をする。

「すいません。S社に商品Zを出荷して良いですか?」
「うん。ムリですって断って」

「え? 大丈夫ですか?」
「うん。在庫が少ないから余裕を残しておかないと」

「でもS社が…」
「本当に危なかったら偉い人から連絡が来るから」

「はぁ…」
「どんなときでも余裕を手放したらダメだよ」

「…わかりました」

ぼくは営業の人に「在庫がありません」とウソをついて断った。

その後もA工場の人たちはやることが徹底していた。
「在庫がありません」と要望をかわしながらいつも余裕を隠し持つ。

本当に危ないと判断したらホンの少しだけ在庫を出す。

ほとんどの要望は在庫があるのに「ありません」と断り続けて、胸がギュッと締め付けられる。

ただ…A工場での仕事は落ち着いた雰囲気を保っていた。

予定した2ヵ月が終わりA工場での業務が終わると、
プルル、プルル。
課長から連絡が来た。

「お疲れさん。悪いけど次はB工場に行ってくれ」
「え? 九州のB工場ですか?」
ここから1000キロはあるんじゃないか?

「そっちも人手不足なんだ。あとB工場では電話対応も“しっかり”たのむ」
「…わかりました」

ぼくは日本列島を往復ビンタするかのように西に向かう。

そしてB工場にたどり着くとアゴが外れた。
部屋に入ると…誰も鳴り響く電話を取らずにドンヨリした表情でパソコンに向き合っている。

B工場の人たちに声をかけた。
「今日からよろしくお願いします。あの…電話を取らないんですか?」

「…実は在庫を使い切ってね。電話を取っても出せるものがないんだ」
「え?」

「営業から“助けてくれ”と言われてどんどん出荷していたら在庫がつきちゃってね」
「そうだったんですか…」

その後ぼくは在庫管理と電話番を担当して、もみくちゃにされた。

電話を取って「できません」と断るたびに「何とかしろ!」「薄情もの!」とののしられ続ける。
(カオスだ…)

世の中を呪いながら土曜日まで休日出勤をして、月の給料の半分が残業代になるぐらい働いた。

これは20年前。
ぼくが新人のころの話。

このA工場とB工場の光景は大切なことを教えてくれた。

苦しいときほど余裕を持て

情にほだされ自分の余裕を削っていくと、かならずどこかでミスが出る。
身を切られる想いでも余裕を残した方が仕事はうまく回るのだ、と。

アラフォーで転職をした今になり、この気づきが身に染みている。

定時ダッシュを貫くためにスケジュールを立てながら、きっちり余裕を確保する。
大切な自分の時間を守るために。

さて。B工場で働いた2ヵ月はマジで悲惨だったけど働く人たちは良い人だった。

「まひろくんはヒマだろう」
遠方から手伝いにきたぼくに気を使って、工場の部長が観光に連れ出してくれた。

クリスマスイブ。
カップルだらけの中、50代のおっちゃんと2人で街を散策したのはエモい想い出だ。
タノシカッタヨ

(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)