山城 さりとてすぐ帰っちゃみっともないし。少なくともかみさんには、ひょっとして、あの人あんなことを言ったけれども、やってくるんじゃないかと心配はさせたいしね。そんなものを持って、もう夜中の2時3時に行くところもないし、困っちゃってね。それを持って女の子の家に「こんばんは」って行くわけにいかないし。
しょうがない。知り合いの飲み屋に行って、そこで何となく2時間ばかり飲んでいて、「ちょっと預かっておいてくれ」「これ、何なの?」「いや、あの、事情は」って置いて、あまり酔ってもないのに、「これェ、この野郎」って大声張り上げて帰ったら、「早く寝なさい。くだらないこと言ってないで」。
これは暗黙のうちに、男のくせにそんなグチはみっともないわよって、わりに教訓だろうと思うの。毎日が変化に富んでいておもしろいですよ。
代表作があるっていうことは
自分に限界感じていることだから
悠木 山城さんの芝居ね、それはいろんなこと、出る杭は打たれるで言われると思うけど、わたしは好きなのね。とにかく挑戦してみるという、好奇心ってのあるでしょう。挑戦するからドジるときははなばなしい。でもやっぱり壮絶な失敗っていうのは必要ですね。
山城 そう思いますね。それと、ぼくは、役者なんていうのは、そんなたいそうなものじゃない。ぼくはまずメリットとかデメリットとか、いまの若いタレントさんが使う言葉、大きらい。
悠木 計算ね。

山城 あの演出家と組んだから、あの作家と組んだからみたいな。だから、マスコミ受けするとかいう感覚。ぼくは役者というのは選ぶものじゃない、ただ出るものだと思う。悠木さんに反論されるかもしれません。
悠木 いえ、わたしもそう思います。
山城 じゃ、山城さん、代表作、何ですか。何にもないんですよ、ぼくはね。何にもないし、事実またあっちゃいけないと思うし。代表作があるっていうことは、自分に限界感じていることだから。
ぼくはもう一生役者なんかやめられないから、ワイフに見とられながら、息を引き取る瞬間に、妻が「しっかり、パパ」なんて言っている状況の中で、スーッと脳裏をかすめて、あの映画よかったなあ、あのテレビよかったなあというのがふっとかすめてくれたらね、それが代表作だと思うの。
これは自己弁護がましくなるけれどもね。だから、作品というの選んだことないですよ。来るもの、順番にやります。
悠木 わたしもね、来た順とギャラの順できめるのね。
山城 ああそうか、ギャラはかなりある(笑)。
1943(昭和18)年1月15日東京生まれ。女優活動当初の名義は悠木千帆、77年に樹木希林と改名。61年文学座附属演劇研究所に入所、テレビドラマ『七人の孫』で森繁久彌に才能を見出され、『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』『ムー』などの演技で人気女優に。出演映画は多数あり、代表作に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』『悪人』『わが母の記』『万引き家族』などがある。2008年に紫綬褒章、14年に旭日小綬章を受章。61歳で乳がんにかかり、70歳の時に全身がんであることを公表した。18年9月15日逝去、享年75。夫はロックミュージシャンの内田裕也(19年3月17日逝去)。
1938(昭和13)年11月10日京都府生まれ。57年に東映ニューフェイス第4期生として入社。59年『風小僧』で主役デビュー。60年『白馬童子』などのテレビドラマで人気を得たのち東映時代劇、「仁義なき戦い」シリーズなど数多くの映画に出演。俳優を続けながら映画監督、テレビ番組の司会、バラエティー番組出演など多方面で活躍した。2009年8月12日死去。享年70。対談当時は37歳。川谷拓三と出演した日清食品「どん兵衛」のCMは、この年に放映が始まり、14年間続いた。私生活では女優の花園ひろみと結婚・離婚を2回繰り返した。