「なぜ?」「どうして?」はおせっかいになる
佐渡島:その時に「なぜ、そう思うのか?」と聞くことで、共通の土台を確認し合うのは、ダメなんでしょうか。
中田:あまり、よろしくないんですよね。それは自分が子どもだったころを思い出せば、納得いくかもしれません。佐渡島さん、ご両親や教師から、「どうして、遅刻したの?」「どうして、忘れ物をしたの?」「どうして、すぐに言わなかったの?」と、「なぜ」を連発されて、「ごめんなさい」とすぐに言うタイプでしたか?
佐渡島:いや、言いませんね。言えませんね。言いたくないですね(笑)。
中田:そうですよね。僕も同じです。まぁ、そういう問いかけをされて、98%の子どもは、「だって~、◯◯だったもん!」と言い訳がましく返しているはず。こうした「なぜ?」の疑問形を、僕らは「詰問型のなぜ質問」・「おせっかい型のなぜ質問」と呼んでいます。共通するのは「疑問形に見せかけた命令形」ということ。一見、相手のためを思っての質問。だけど、その実、正解は質問者側にあり、それを教えてあげようというスタンスが見え見えです。これでは、両者の関係性はいびつなまま、共通の土台も確認しえないまま、“対話”は支配的に進んでいってしまいます。
佐渡島:うわ~、またしても耳が痛い(笑)。でも、たしかに……、僕も一時期、「学校に行きたくない」という我が子に、「なんで?」「どうして?」を連発していました。もちろん、詰問するつもりは毛頭なく、シンプルに問題の本質を理解したほうが、より良いアドバイスや、フォローができるはずという親心からです。でも、その奥底には、実は自分の心配を解消したいという欲求が隠れていたのかもしれません。
中田:もちろん、「相手をよく知りたい」「問題を突き止めたい」という思いは大切です。でも、相手に警戒心を起こさせ、心を閉ざさせてしまったら本末転倒です。
「思い込み」だらけの不毛な議論から抜け出す
佐渡島:本の中で印象的だったのは、「会話の空中戦」というフレーズでした。先ほど、「議論が平行線をたどる」話が出ましたが、平行線が解消された結果、今度は不毛な言い合いが勃発!でもよろしくないですよね。あくまで平和的な「対話」をするには、どうすればいいのか。
中田:どちらも根っこは同じで、会話のベースが「思い込み」なんですよ。「解釈」と言ってもいいかもしれませんが。要するに、事実ベースでの冷静な議論ではなく、お互いの思い込みを土台に、水掛け論になってしまっている。
佐渡島:中田さんは「事実は一つだが、解釈は無数にある」と本の中で言っています。ミステリー小説のようですが、日常生活でも「事実」と「思い込み」は、意識して分けて考えたほうがいいと。
中田:そうです。例えば、「なぜ、寝坊をしてしまったの?」と問いかければ、「お母さんが起こしてくれなかったからだ」「夜遅くまで勉強をしていたから」「夜中にスマホをいじってしまったから」「ストレスで眠れなかったから」とか、いくらでも言い訳が出てきます。言い訳とは、「思い込み」ですよね。
佐渡島:それを「昨夜は何時に寝たの?」と「事実質問」にすると……、「12時……」といったように、「事実」しか出てこない……。
中田:まさにそうなんです。それが、「なぜ?」ではなく、「いつ?」と聞け、の真意です。「いつ?」以外にも、「どこで?」「誰が?」「何を?」の4つの「事実質問」がベースになります。