備蓄米の飼料利用は
フードロス削減の側面も

 古古米行列に並ばなかった人たちの、冷ややかに行列を批評する声も結構聞こえてきた。まあ行列とは得てしてそういうもの(並んでいる人と並んでいない人のモチベが天地の差)ではある。様々な言葉によって語られているそれら意見は、次のようなものである。

・タイパ(タイムパフォーマンス)が悪すぎる。
・たかが数千円の得のためになぜそこまで。
・古古米ごときをありがたがって本当に残念。
・苦労を背負ってまでコメを選ぶ必然性はあるのか

「古古米ごとき」的な意見には、「家畜用のコメなのに」と考える人も一定数いる。

 今回備蓄用古古米の店頭販売は結構大きな政争の具となっていて、新たに農水相として就任した小泉進次郎大臣だけでなく他の政治家にとっても、コメを通して自身をアピールしたり、小泉大臣の施策を糾弾する絶好の機会であり、備蓄米が「家畜用」や「餌米用」とネガキャン気味に表現されることがあって、これがうまく当たっている形である。

 5年を過ぎて保管された備蓄米は家畜用の飼料として回されるルールのようだが、5年たとうと味の劣化はそれほどでもないとする話も出回っている。

 備蓄米の飼料利用はコメ価格のコントロールやフードロス削減といった側面もあるため、「家畜の飼料=品質が著しく悪いコメ」や「それをありがたがる日本人とそれをありがたがらせる政府」という単純な構図でもないのだが、この点について世論が割れているのは与野党のドンパチが影響しているからでもある。

 なお筆者は別に小泉大臣のフォロワーではない。大臣就任後、迅速に店頭に備蓄米を並べた小泉大臣はコメを渇望していた国民にとってはヒーローに見え、絶好のパフォーマンスでもってスタートを切ったといえるが、これが表層的なの自己アピールに終わることなく本質的な農政改革につながっていくかは今後の動向をきちんと見定めていく必要がある。

 さて、並ばない人からは思い切り冷笑・嘲笑されることもある古古米店頭販売の行列だが、並んだ人たちの胸中が様々だったのは先に少し触れた通りである。具体的には、次のようなものである。

・コメが安く手に入るというイベントを楽しんだ。
・コメの高騰が続く現況に対する怒りや反逆の気持ち。
・適正価格でコメを買うことで、コメ高騰によってここ最近揺るがされている日本人としてのアイデンティティーを取り戻す意味合いを持つ試み。