日本人の多くが参加する
「タイパのすこぶる悪い」行列

 これらは並ばない人から見ると、どのような根拠を持っていようと並ぶことが盛大な無駄にしか感じられない。……のだが、ふと気づくことがあった。

 そういえば、傍から見れば盛大な無駄にしか思えないのに日本人の多数が参加する大行列を、我々は他に知っているのである。これはちょっとした座興・クイズとして少し考えてみてほしい。さてなんでしょう。

 正解は初詣である。無論神社によって行列の有無や程度は異なるが、明治神宮、川崎大師、成田山、伏見稲荷大社なんかは300万人前後の参拝者が集まる。とにかく三が日にこぞって詣でるのが我々である。

 だが初詣の実態はというと、真冬で極寒の、しかも夜中に大量の人が行列を成して何時間も並び、やることといったらカクカク何度かお辞儀しながら手をパンパンと叩くだけなのである。

 この初詣は日本人の慣習でもあり、あまりにも多数の人が参加するので参加しないと取り残されるような感もあり、参加すること自体に意味があるようなイベントであり、誰かと会ったり出かけたり、屋台でつまみ食いするなどが楽しいレジャーでもある。

 ただ本来の目的は新年のお祝いや感謝で、やはり賽銭箱を前にお参りする際は厳かな気持ちになるから、「参拝者が胸に祈りを抱いた大行列」と言えよう。

 他方、古古米行列も同様にコメにまつわる様々な願い、すなわち「祈り」を胸に抱いた行列であった。初詣に比べれば規模はグッと小さくなるが、祈りが根底にあるという行列の性質は同じである。2つの行列で違うのは、古古米行列の方に「2000~3000円お得にコメが買える」という実利、明確な形として示されるメリットがある点である。

 この明確な実利にフォーカスすれば古古米行列は「タイパのすこぶる悪い行列」にしか見えないが、「祈り」の部分を評価に加えると別の見え方にもなってくる。そこでは2000~3000円をはるかに上回る満足感や安らぎが、古古米を媒介に提供されているのであった。

 この度は備蓄米放出を通して、日本人のコメに対する並々ならぬ思いが再確認された次第である。