たくみの力は日本の世界遺産

ヘンリー:私はよく、こんな話をするんです。社会で活躍するには、どのような職業がいいか。イタリアに生まれたらオペラ歌手、アメリカに生まれたら起業家でしょう。そして日本だったら、おそらく陶芸家か何かではないでしょうか。

名和:まさに、日本では「クラフト」(工芸)を大切にしてきたからですね。私がハーバードの学生だった頃、『ハーバード・ビジネス・レビュー』に掲載されたヘンリーの論文「Crafting Strategy」(戦略を工芸する)には衝撃を受けました。マイケル・ポーター教授の科学的な戦略思考が全盛だった時代に、戦略は手づくりで造形していくものだと唱えたのですから。クラフトの大切さを体得していた日本人としては、我が意を得たり、というところでした。

ヘンリー:経営はサイエンス、アート、クラフトの3つから構成されるというのが、私の持論です。そして、サイエンスは考えるもの(thinking)、アートは見るもの(seeing)、クラフトはするもの(doing)です。考えたり、見たりするだけでは経営ではない。経営の本質は実践、すなわち「行動」(doing)だからです。

 恋愛を例に取りましょう。相手となる候補をリストアップして、しっかり分析してからということはないでしょう。もっとも伝統的なインド家庭には、そのような習慣もあるようですが(笑)。成功するケースのほとんどは、まず付き合ってみて、そこから紆余曲折を重ねて関係を深めていくものではないでしょうか。doingこそが決め手となるのです。

名和:近著『ミンツバーグの組織論』(ダイヤモンド社、2024年)の中でも、「アート・シンキング」ではなく「アート・ドゥーイング」でなければならないと論じていますね。

ヘンリー:ティム・ブラウン注)は知人ですが、彼には『デザイン思考』(同氏のベストセラー書籍のタイトル)と呼ぶのは間違いだと指摘してやりたいですね。本来は「やること」、つまり行動がカギとなるからです。
(注)シリコンバレーのデザインコンサルティング会社IDEO会長。

現場の「カイゼン」が
イノベーションを生む

ヘンリー:アメリカ流経営の特徴は2つ。分析することと破壊すること。しかし、そこから持続的な成長は生まれません。戦略は分析の結果つくるものではなく、合意によって決まるものだからです。そして、破壊ではなく、現場での小さな発見の中から次世代の成長が生まれていくからです。

名和:マイケル・ポーター教授は、私のハーバード時代のメンターの一人でしたが、当時「日本企業には戦略がない」と喝破していました。

ヘンリー:だったら、そもそも戦略など必要ないのでは、と言いたいですね。日本企業の中には、持続的な成長を遂げている企業がいくつもあるからです。たとえばトヨタ自動車。トヨタのカイゼンは素晴らしい。カイゼンが組織の隅々にまで浸透している。それこそが、トヨタの競争優位でしょう。

(ここで、横にいたヒロシ[阿部裕志さんのニックネーム]が対話に加わる)

ヒロシ:私は隠岐島・海士(あま)町に移住する前には、トヨタの生産技術エンジニアとして現場で働いていましたが、カイゼンはトヨタの文化そのものでした。

名和:「カイゼンからイノベーションが生まれることはない」とポーターは揶揄していましたが。

ヘンリー:小さなカイゼンから大きな革新が生まれることもあります。私のお気に入りの話はイケアです。これも北欧企業ですね。

 イケアのフラットパック(組立式家具)は、ごく小さなアイデアから生まれたものなのです。撮影のために作業員が、商品を車に積み込もうとしてもできなかった。そこで脚を外した。これが世界的なイノベーションが生まれた瞬間です。