世間では「働き方改革」とかいわれているけれど、ぼくの会社は「昭和」から抜け出せていない。
早出、休出、深夜残業、サービス残業。そしてパワハラ、セクハラ、カスハラ。
どこにでもいる平凡な会社員の日常を描いた、5分で読める気軽なショートストーリーです。
通勤中や休憩時間に読んで、クスっと笑ったり、ホロっと涙ぐんだりしてください。
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)

正論で相手は動かない
午後3時、オフィス。
ぼくは部下のIさんとミーティングをしていた。
彼女は異動してきたばかり。
スレンダーでモデルみたいなスタイル。ちょっとサバサバしている印象だ。
前の上司からは「…ちょっと消極的なんだよね」と聞いている。
ぼくはIさんに思いを伝えた。
「今までの事務仕事に加えて、ぜひ新しい仕事にも挑戦してほしいです」
すると彼女の表情が渋くなった。
「私は事務が好きなんです」
ぼくは何気なく返事をする。
「お話は理解できます。でも…これからは全員が挑戦する時代なんです」
シーーーーーン。
ぼくの一言でIさんの顔からスッと表情が消えた。
ギクシャクしたまま打ち合わせを終える。
(何がまずかったのかな…)
ぼくは反省をしながらも
(マズい。次の会議だ…)
すぐに仕事の波に飲み込まれた。
3週間後。
カタカタカタカタ…
ぼくが物かげで仕事をしていると背後で気配がした。
Iさんと…どうやらもう1人いるらしい。
ぼくの存在に気づかぬまま2人は話し始めた。
「私…まひろさん、無理です」
「私は一般職なんです。お祖母ちゃんも持病があるし、妹も小さいので…無理せず働きたいんです」
「そう…」
相手の女性が相づちをうつ。
「それなのに…“挑戦をしろ”って押し付けられるのがツラいです」
Iさんのグチは止まらない。
(これはマズい…)
完全に盗み聞きになっている。
ただこの場から離れると…
Iさんと遭遇することになる。
今さら「てへ! 聞いちゃった」と顔を出そうものなら…悲劇しか想像できない。
仕方なく耳をダンボにして彼女の不満を聞き続けた。
「きっとやる気がないと思われています。悔しいです…」
たしかにIさんが遅くまで働いている姿を見かけた。
(やる気はあるんだ…)
そして次の一言がぼくの胸に風穴をぶち開けた。
「まひろさんはまったく共感してくれないんです。『お話は理解できます』って…ヒドくないですか」
(マジか…)
「理解できます」の一言が、ここまで感情を逆撫でするとは思いもしなかった。
相手の女性は「うん」「そうなんだ」と相づちを打つ。
彼女はたっぷり1時間、ぼくへの不満を吐き出してその場を去っていった。
ぼくは放心状態になった。
「押し付け」
「共感してくれない」
Iさんの言葉が脳みそを駆けめぐる。
「違う!」「誤解だ!」と叫びたくなる内容もあった。
そして翌日から彼女に話しかけ始めた。
「対応ありがとう」
「このチョコが好きなんだ」
「このお客さんの対応、ひどいね」
彼女も悩んでいることがヒシヒシと伝わってきた。
とにかくこまめに声をかける。
最初は話しかけても「はい」「いえ」しか返ってこない。
ちんすこうの100倍は塩な対応を喰らい続ける。
「きもい」「うざい」と思われているだろうけど…
めげずに声をかけ続けた。
2週間。1ヵ月。2ヵ月。
かすかな変化が訪れた。
「この件、相談いいですか?」
Iさんから声がかかる。
彼女はお菓子が好きらしくいつもデスクにチョコがあった。
残業中にブラックサンダーを差し入れると、
「来週はポッキーの日ですね」
彼女が少しだけ笑いながら雑談を返してくれた。
Iさんのキャラが分かってくる。
そして仕事で変化が表れた。
「この仕事、やってみたいです」
Iさんがチャレンジし始めたのだ。
歯車が再び回り始めて内心でガッツポーズする。
1年後。ぼくが転職をするとき。
思わず口をパクパクさせた。
「今までありがとうございました」
Iさんがクッキーとメッセージカードをくれる。
「一緒に仕事ができてよかったです」
読んだ瞬間に泣きそうになった。
このときに感じたのは、
正論で相手は動かない
知ることから始めよう
年齢や立場に距離があるほど相手の目線に立てなくなる。
まずは相手のことを知る。1日や2日じゃダメだけど。
コツコツと続ければ少しずつ信頼は生まれ、スムーズに働けるようになる。
遠回りが一番の近道だと改めて感じたエピソードだった。
ちなみに、
パクパクお菓子を食べていたIさんと、
バクバクお菓子を食べていたぼく。
彼女は何も変わらないのに、
ぼくのお腹は1年で存在感を増した。
(落ち着いたらダイエットしないと…)
ぼくは心に誓いながらIさんがくれたクッキーの包みを破いた。
パクリ
(この記事は、『ぼくは今日も定時で帰る。仕事に疲れたあなたを癒す44の物語』まひろ(ダイヤモンド社)からの抜粋です)