蘭子派だった岩男(濱尾ノリタカ)が…戦地で“パパの顔”に大変身→その背中が嵩を動かした【あんぱん第56回レビュー】

宣撫班の仕事で抱える葛藤
「これのどこが正義の戦争なんだ」

 宣撫班も傍から思うほど楽ではない。直接、占領国の人たち(この場合中国人)と接する仕事なのだから、骨が折れるだろう。実際、市場で「桃太郎」の紙芝居(娯楽)を披露し、親しみを深めようとしていた宣撫班は、中国人たちに反抗され、石を投げられて負傷する。観客のなかに共産党員が混じっていて、彼らが扇動していたらしい。

「桃太郎」を日本人の象徴にしているから、中国人は不満なのだろう。たぶん、中国人がお供の犬、猿、雉という解釈だったら、あまりうれしくはない。そして、鬼は敵である米英を表しているのだろう。

 嵩のモデルのやなせたかしの著書『ぼくは戦争は大きらい』には、アメリカが台湾を足がかりにして日本を攻めてこないように台湾の対岸の福州で迎え撃とうとしたとある。

 嵩は絵のうまさを買われ、至急、「桃太郎」に代わる新たな紙芝居を作ることになる。

 塹壕や縫い物よりは嵩にとってやりがいがありそうだが……。

 武力によらず、占領地の人たちの気を安定させるというのは、聞こえはいいが、相手を懐柔することだ。

 嵩が市場に行ってみると、紙芝居は無惨に破かれていた。宣撫班と現地の人との争いの跡に虚しさを覚える嵩。中国人から「とっとと帰れよ」と日本語で言われ、高齢の女性からも「もう来ないで 早く帰れ」と中国語で言われてしまう。のぶ(今田美桜)にも「しゃんしゃん東京にいね」とよく言われていた。なにかとおっぱらわれがちな嵩なのである。

 本部に戻った嵩は「守備隊心得」の張り紙を前に「これのどこが正義の戦争なんだ」とつぶやく。

 張り紙には「東亜諸国の共存共栄」とか「占領地の保全と安寧確立」とか「占領地良民を己が同朋兄弟と心得愛護善導育成すべし」とか書いてあるのだが、詭弁にしか思えないのだろう。

 それを聞いた健太郎(高橋文哉)はそんなことを言ったら降格になると注意する。

 米英の侵略から大陸の人を守るため、ひいては東洋の平和のためと言っても、歓迎されるどころか憎まれている。なにしろ、住んでいる人を追い出しているのだから当然の感情であろう。共存共栄と占領は別物だ。

「それが戦争」と健太郎は諦めている。