やなせたかしの実体験!?
中国人が笑った時に感じた思いとは

実際、嵩のモデルのやなせたかしの著書『ぼくは戦争は大きらいーやなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)を読むと、中国人が勝手に訳をつけ加えたことで、笑うところではないところで笑っていたと書いてある(大意)。
その部分をドラマでは抽出して脚本化しているわけだが、やなせの著書では、福州の人たちは、上海の話だと思っていて、自分たちが日本と戦争をしているとは認識していなかったとある。
「広い国は違うなあ、と感心しました」とやなせは書いている。中国は大きすぎて、そのなかでも枝分かれしていることをやなせは感じたのだろうか。筆者としてはこちらのほうが興味深い。
言葉も慣習も理屈もそれぞれ違う人たちが一緒に笑う、そんな楽しい瞬間を作り出したいと願う人たちは少なくないだろう。だが、異なる国の人たちが一緒に笑うどころか、戦況は悪化していく。東京では大空襲が起こり(1945年3月10日)、日本の敗戦は決定的になった。
部隊は食糧難にあえぐことになる。嵩が元の分隊に戻ったというのは、戦況が思わしくなく宣撫班の活動ができなくなったということだろうか。
1日2食なうえ、薄い粥のみのさみしい食生活。
『アンパンマン』誕生のきっかけとなる空腹体験がはじまった。
なお、『ぼくは戦争は大きらい』は、22年に新装版として小学館クリエイティブから出たものを参照している。取材・構成者・中野晴行のあとがきを読むと、まっさきに「ここ数年、『やなせ先生が生きておられたら、どんなふうに考えるだろう』と思うことが増えました」と書いてある。
『あんぱん』の中園ミホもインタビューで同じようなことを言っていた。誰もがそう思う時代が来ているのだ。
はやく助けてアンパンマン!