亡くなった父・清(二宮和也)が語るセリフで感じた光

答えがわからないまま、戦況が回復しないまま、嵩はタンポポをむさぼり食う。上空で鳥が鳴いていたけれど、鳥を撃って食べたりできないのだろうか。わかりません。
タンポポも食べ尽くしてしまい、餓死寸前。倒れ気を失った嵩に呼びかける声がする。
目が覚めると、小屋に寝かされていて、傍らにいたのは――幼い頃に亡くなった清だった。
清は新聞記者として中国に渡って、そこで亡くなっている。同じ中国の地と形見の手帳が清を呼び寄せたのだろうか。
嵩のモデル・やなせたかしの詩集『てのひらを太陽に』(河出文庫)には「私は人生において、三つのことは生涯やっていく。それは絵と詩と雄弁だ」という父の言葉が記されている。清は雄弁に戦争への批評的な視点を語る。
「(前略)でも人間は美しいものもつくることができる。人は人を助け喜ばせることもできる(後略)」と言い、嵩に「みんなが喜べるものを作るんだ」と励まし、形見の手帳を握らせる。
去り際に「大きくなったな」としみじみ言うのは、二宮和也の提案だそうだ。
去っていく外にもタンポポの綿毛が舞っている。
タンポポの綿毛は、現実と夢の間を表現しているのかもしれない。
この幻想的な光景こそ「人間は美しいものもつくることができる」という清の言葉と呼応しているように見える。
戦争ドラマの悲惨な状況描写のなかにも美しいものを描いたり、「大きくなったな」と子どもを思いやるセリフを考えたりする。それが人間の可能性だとしたら、現実世界でも醜い世界に光を見出すことができるのではないか。
清と嵩のシーンで北海道の地震のニュース速報がテロップで入った。戦争も自然災害も心配。どんなときでも自分に何ができるか前向きに考えていきたい。