橋下徹大阪市長の発言騒動もあって、このところ歴史認識論争が沸騰している。
“歴史認識”と言うと、いつも私は40年前に亡くなった母のことを思い出す。
私の母は、私が衆議院選挙に初出馬して落選した1年半後に他界した。
母は私に政治向きの感想や意見を述べたことは一度もなかったが、歴史認識についてはその行動によって、今に至るまで大きな影響を与え続けている。言わば私の歴史認識の原点である。
もちろん無学な母は“歴史認識”などという言葉とは無縁であったし、私に何かを教えるつもりもなかった。私が勝手に母から学んだのである。
A級戦犯の写真を
新聞から切り抜いた母の思い
昭和23年12月、東條英機元首相をはじめA級戦犯7人の絞首刑が執行された。この出来事は当時小学2年生の私にも大きな衝撃を与えた。
翌朝の新聞一面には巣鴨プリズンから出てくる大型トラックの大きな写真が掲載された。その荷台には白布に包まれた7つの棺が乗せれ、占領軍兵士が敬礼している。
その夜、母は部屋の隅にうずくまり、ハサミでその写真を切り抜いていた。泣いているようにも見えたので、私は近寄ることもはばかった。
母はその写真を仏壇のそばの壁に貼り、長い時間合掌して頭を下げ続けた。