「名刺交換してもすぐに、相手の名前を忘れてしまう」「仕事になかなか集中できない」といった悩みを抱えている方も多いのではないだろうか。多くの人は加齢にその原因を求めがちだが、近年、若い人も集中力や記憶力の低下が著しいのだという。それはなぜだろうか。18言語で話題の世界的ロングセラーの新装版『一点集中術──限られた時間で次々とやりたいことを実現できる』の著者であるデボラ・ザック氏は、その原因の一つにマルチタスクがあると指摘する。本記事では、本書の内容をもとに、マルチタスクがもたらす脳への影響について解説する。(文/神代裕子、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

一点集中術Photo: Adobe Stock

なぜ集中力や記憶力が落ちるのか

 ここ数年で、筆者は集中力と記憶力が格段に落ちたと感じている。もちろん、加齢による影響もあると思う。しかし、われながら「どこかおかしいのではないか」と思うほどの悪化ぶりなのだ。

 たとえば、名刺交換をしても、わずか5分後には名前を思い出せない。本を数ページ読むだけで、なんとなく気もそぞろになって読み進められない。

 筆者は元々記憶力には自信があり、読書も大好きだったため、「若年性認知症なんじゃないか」と不安になり、思わずインターネットでセルフチェックをしたほどだ。

 一方で、そんなふうになってしまった原因には心当たりがあった。

 スマートフォンである。

 このなんとも便利な小さな機械を手にするようになってから、すごい勢いで集中力と記憶力が落ちたのを実感している。

 スマートフォンが脳に良くないという話はよく聞くものの、何が原因なのか、その理由はわからなかった。その理由を明確にしてくれたのが、本書だったのだ。

 本書によると、スマートフォンを使うことで、マルチタスク状態になっており、そしてマルチタスクの状態は脳に負担がかかるのだそうだ。

「マルチタスク」は脳に負担をかけるだけ

 ザック氏は、「近年のテクノロジーの発展により、社会には非現実な欲求が生まれた」と語る。

 それは、おびただしい数のメディアがひっきりなしに流す情報の奔流を「吸収するのが当然だ」という風潮が生じていることである。

 ザック氏は、「その結果、私たちはつねに『アクセス可能』であることが求められるようになった」と指摘する。

 もちろん、砂漠の砂以上の情報量があると言われる現代において、すべての情報にアクセスすることなど不可能だ。

 しかし、こうした非現実な要求に応じようと、私たちは複数のタスクに注意を分散させるようになったのだという。

 そのために、マルチタスクという手段を取る人が圧倒的に増えたのだ。

 しかし、ザック氏は、「マルチタスクは状況を改善するどころか、むしろ問題を悪化させる」と注意喚起する。

 なぜなら、そもそも人間の脳は、一度に複数のことに注意を向けることができないからだ。

マルチタスクは情報の流れを遮断し、短期記憶へと分断する。そして短期記憶に取り込まれなかったデータは、長期記憶として保存されずに、記憶から抜け落ちていく。だから、マルチタスクを試みると能率が落ちるのだ。(P.49)

 さらに、脳は一度に複数のことに注意を向けられないため、気にかけるものが多ければ多いほど集中力は低下する一方で、能率も悪くなるのだそうだ。

 要は、マルチタスクとは、絶え間なく気が散っている状態を意味する。

 まさに筆者の現状そのものである。

脳は一度に2つのことはできない

「脳は一度に複数のことに注意を向けられない」と言いつつも、「みんなマルチタスクで仕事をしているじゃないか」と思う人もいるだろう。

 しかし、スタンフォード大学の神経科学者エヤル・オフィル博士は次のように語る。

「人間はじつのところマルチタスクなどしていない。タスク・スイッチング(タスクの切り替え)をしているだけだ。タスクからタスクへとすばやく切り替えているだけである」と、説明している。
こうした行動を続けているとマルチタスクをしているような気分にはなるものの、現実には、脳は一度に2つ以上のことに集中できない。そのうえ、注意をあちこちに向けていると、効率が落ちる。(P.51-52)

 私たちは、一度に複数のことをこなしているように見えて、脳内ではすばやくタスクを切り替えているだけなのだ。

 そう考えると、SNSやメール、チャットが絶えず飛び交うスマートフォンを見ているだけでも、脳が疲れるのは当然だ。

マルチタスクで若者の認知処理能力が低下

 記憶力が低下する理由は他にもある。

『ネット・バカ』(青土社刊)の著者であるニコラス・G・カー氏は、著書の中で「情報を処理するプロセスをインターネットが大きく変えた」と説明している。

 ウェブの出現により、データを調べる作業はとてつもなく楽になった。ところが、ウェブで情報を検索できるようになった結果、データを吸収し、記憶にとどめる能力は低下したのだという。

資料の1ページ1ページを深く読み込むのではなく、スクリーンをざっと眺め、文章を浅く読むだけですませるようになったため、学習能力と記憶力が低下したのだ。(P.59)

 この影響を受けているのは、大人ばかりではない。

 ザック氏によると、高校生と大学生の記憶量の限界は、成人と同程度であるのだそうだ。そのため、タスクの切り替えばかりしていると、年齢にかかわらず記憶力も理解力も低下する。

情報をきちんと把握できなければ、入手した情報をほかの状況で活用したり、応用したりできなくなる。だからこそ、集中力を身につけるのは生きるための技術なのだ。(P.62)

 昨今では「スマホ漬け」の毎日を過ごしている人も多いが、このように膨大な情報に振り回され、マルチタスクを続けていると、どんどん認知処理能力が低下していってしまうと思うと恐ろしい。

 このままの生活をしていると、本当に若年性認知症のような状態になってしまうのではないかと不安になる。

マルチタスクからシングルタスクへ

 では、いったいどうすれば良いのだろうか。

 ザック氏は「つねに気が散っている状態であるマルチタスクから抜け出すには、マルチタスクをやめ、シングルタスクに切り替えること」と提案する。

 シングルタスクとは、「『いまここ』にいること」「一度に1つの作業に没頭すること」を意味する。

 たとえば、会議の最中に別のメールに返信したり、友人と食事をしている最中にSNSを見たりするのをやめることだ。

 そのためには次のような方法が有効だ。

・メールやSNSの通知を切る。
・会議中や1つのことを作業している間に違うことが思い浮かんだら、一旦メモを取ることで、脳に負担をかけずに記憶を管理する。
・メモやアラームなど、なんでもスマートフォンで行うのではなく、ノートや時計などのアナログ機器に変える。
・余計な情報が目に入らないように机の上を片付ける。

 こうした手を打っておくことで、できるだけ目の前のことに集中する時間を確保するのだ。

 筆者も早速、スマートフォンを別の部屋に置き、Wi-Fiを切って原稿に向かってみた。

 最初のうちは落ち着かなかったが、次第に集中が高まって、いつもよりも早く原稿が仕上がったのを体感した。

 いかに、日々スマートフォンの通知に意識が向いていたかがよくわかった。

「いまここに集中する」を実践して、集中力や記憶力を取り戻したいものである。