2024年の東京都知事選では野党第一党の候補が(ネット以外では)ほぼ無名の地方の前市長に得票数で劣り、兵庫県知事選では主要メディアからはげしく批判された前知事が、複数の主要政党から推薦を受けた候補者を破って当選する大番狂わせを起こした。
今年に入るとフジテレビが、大物タレントが自社の女性社員に対して行なった「性加害」を社長以下の少数の幹部でもみ消そうとしたとして強い批判を浴び、スポンサーの大半が広告を差し止め、経営幹部が10時間を超える謝罪会見を行なう異例の事態になった。
これを受けて「民主主義の液状化」「マスメディアの凋落(ちょうらく)」がさかんに語られたが、これと同じ、あるいはそれ以上の衝撃が2016年のアメリカですでに起きている。いうまでもなく、希代のポピュリストであるドナルド・トランプが、圧勝を予想されていたヒラリー・クリントンを破って第45代アメリカ大統領に当選したことだ。
アメリカでは日本より10年以上前から、ネットやSNSを舞台とした「文化戦争」の混乱が続いている。トランプの登場はその必然的な帰結だと論じるのが、サブカルチャーを研究するアンジェラ・ネイグルの『普通の奴らは皆殺し インターネット文化戦争 オルタナ右翼、トランプ主義者、リベラル思想の研究』(大橋完太郎訳、清義明監修・注釈/Type Slowly)だ。

じつはこの本は、原書発売のとき(2017年)に面白そうだと思って読みはじめたのだが、馴染みのない固有名詞が大量に出てきて断念した。今回、詳細な注釈をつけた翻訳が出たことでようやく読み通すことができた。
原題は“Kill All Normies: Online Culture Wars From 4Chan And Tumblr To Trump And The Alt-Right(ノーミーを皆殺し 4ChanとTumblrからトランプとオルタナ右翼までのオンライン文化戦争)”で、normieとはnormal(ふつう)の者を指すスラングだ。そうなると「ふつう」ではないのは誰なのか、ということになるが、これはネット文化ではギーク(geek)やナード(nerd)すなわち「オタク」になる。
しかしなぜ、「普通の奴ら(normies)」を皆殺しにしなければならないのだろうか。
4chanとTumblr(タンブラー)が象徴する2000年代の「文化戦争Culture Wars」
2008年の米大統領選ではバラク・オバマがアメリカ史上はじめての「黒人大統領」になり、10年からはチュニジアを起点にエジプト、リビアなどで草の根の民主化運動が独裁政権を倒し、「アラブの春」と呼ばれた。さらに11年には、世界金融危機後のグローバル金融機関の救済と、経済格差の拡大に抗議する「ウォール街を占拠せよ」が始まった。
こうした運動を支えたのがSNSなどの新たなテクノロジーで、左派・リベラルのあいだには「ネットが社会を変える」というユーフォリアがあふれていた。
オバマが勝利し、アラブの春や「オキュパイ運動」が起きたとき、「ヒエラルキー的なビジネスや古い文化モデルは、群衆、集合精神、市民ジャーナリズム、そしてユーザーが作成したコンテンツによって置き換えられるだろうと考えられていた。(そして)彼らの願いは叶った」とネイグルは書く。ところがそれは、「彼らが望んでいたユートピア的な理想とはまったく異なっていた」のだ。
なぜこんなことになったのか。それは、左派(レフト)がSNS上で行なったキャンセルカルチャーを、オルタナ右翼やオルト・ライト(このちがいは後述する)のようなネット上の右派が巧妙に模倣し進化させ、より大きな社会的影響力をもつようになったからだという。
ネイグルは2000年代の「文化戦争Culture Wars」を、4chanとTumblr(タンブラー)に象徴させる。
4chanは日本の2ちゃんねる(2017年に「5ちゃんねる」に改名)に影響を受けた匿名掲示板で、アメリカ人クリストファー・プールによって2003年に開設され、2015年からひろゆき氏が管理を引き継いでいる。「Q」と名乗る人物が最初に投稿し、そこからQアノンの陰謀論が生まれたことでも知られる。
Tumblrは日本ではあまり知られていないが、2006年に始まったSNSとブログを兼ねたウェブログサービスで、2010年前後の最盛期にはLGBTQ+のコミュニティ形成に活用され、社会活動家たちの拠点になった。4chanとTumblrは、ネット上の右派と左派の過激な両極なのだ。
ネイグルは「サブカルチャーの戦い」を論ずるにあたって、中立の立場からまずは左派の問題を指摘する。資本家vs労働者という階級対立を基盤とするマルクス主義的な「古いリベラル」は、20世紀末にはすでに行き詰まっていた。労働者には実現する見込みのない「革命」に参加する理由はなく、むしろ保守化していったからだ。
そこで民主党を支持するリベラルは労働者を見捨て、人種、ジェンダー、セクシュアリティなどに基づくマイノリティのアイデンティティ運動に注力するようになる。これが急進化したのがラディカルレフト(極左)で、ハーバードやコロンビア、スタンフォードなど一流大学の教員・学生などが、Woke(ウォーク:社会問題に意識高い系)やSJW(Social Justice Warrior:社会正義の戦士)になって過激な「アイデンティティ政治」を繰り広げた。
「そこでは麺類を食べることからシェイクスピアを読むことまでが『問題である』と宣告され、それが『ミソジニー』だとか、『白人至上主義』だと言われることさえあった」と指摘するネイグルは、左派がSNSをパノプティコンに変えてしまったという。
パノプティコンは18世紀に功利主義者の祖ジェレミー・ベンサムが考案した刑務所の一望監視装置だが、その後、フランスの思想家ミシェル・フーコーが、監視塔に誰もいなくても囚人たちは自分が監視されていると感じ、刑務所の規則を内面化して従うようになると論じた。いまやSNSになにかを投稿するときは、誰もがパンプティコンに監視されている(と思っている)囚人と同様に、「誰が見ているかわからない」と考え、キャンセルの標的にならないために自主規制し、あらゆるリスクを排除しようとするのだ。
「サブカル右派が秩序を侵犯し、リベラルがそれを守ろうとする」
ネイグルは文化戦争の起源を18世紀のマルキ・ド・サドや19世紀パリのアヴァンギャルド、シュルレアリストにまで遡る。こうした運動は既成の秩序を「侵犯」し、身分制の残滓(ざんし)が色濃く残る保守的な社会を嘲笑し、秩序を覆す運動だった。それが大衆にまで広がったのが60年代のカウンターカルチャーで、「教会に通う正直で平凡な家族的価値観に基づく保守主義」とのあいだで最初の文化戦争が勃発した。
だがいまや、その様相は大きく変わった。「リベラルが秩序を侵犯し、保守派がそれを守ろうとする」という60年代の構図は、いつのまにか「サブカル右派が秩序を侵犯し、リベラルがそれを守ろうとする」というように百八十度変わってしまったのだ。
その背景には、社会の「リベラル化」によって、カウンターカルチャーの時代に過激な若者たちが求めていた主張(人種正義や男女の平等)がある程度実現し、「体制」になったことがあるだろう。その結果、右と左で攻守が逆転してしまったのだ。――右派的な価値観による秩序の侵犯の象徴的な作品として、1999年の映画『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督、ブラッド・ピット主演)が挙げられている。
「オルタナ右翼(alt-Right)」は「白人による公然たる人種主義やナショナリズムの運動」を特徴とするサブカルチャーの新しい潮流で、リチャード・スペンサーはその代表的な人物だ。一流大学で学位を取得し、ウィーンに留学し、大学院に通っているときに右翼運動に参加するようになった。つねにきちんとしたスーツ姿でナチスのレトリックを引用し、白人文化を守るための「平和的な民族浄化」を唱えたスペンサーは、スキンヘッドにタトゥーという極右像を塗り替えた。
日本の「ネトウヨ」が“万世一系”の天皇を尊崇する従来の右翼とは異なるように、アメリカのオルタナ右翼はブッシュ父子のような共和党主流派を「寝取られ保守主義(Cuckservatives)」と馬鹿にしている。民族/国家/人種を女にたとえ、カッコー(cuckoo)の托卵のように、非白人の侵入者によって寝取られたにもかかわらず、そのことに気づかない保守主義(conservatism)というわけだ。
その一方で左派の新しい潮流である「オルタナ左翼(alt-Left)」は、オールド左翼を「ブロシャリスト(brocialist=男性優位的社会主義者)」や「バーニー・ブロ(Bernie Bro)」と呼んで馬鹿にした。broはbrothersの略で、「バーニー・ブロ」は民主党の大統領候補バーニー・サンダースを熱狂的に支持する「白人進歩主義の若い男性」を揶揄(やゆ)する造語だ。
日本語ではR音とL音の区別がないので紛らわしいが、「オルト・ライト(alt-light)」はオルタナ右翼(alt-Right)の主張のなかから、強い批判・反発に晒される人種主義(レイシズム)と白人至上主義を除外したライトなヴァージョンだ。日本でいうならば、ネトウヨから外国人(主に在日韓国・朝鮮人)に対するヘイトや排外主義を除いた「軽いネトウヨ」とでもいえるだろうか。
「オルタナ右翼」から白人至上主義(人種主義)を差し引いたときに残ったのが、「新たな敵」としてのフェミニズムだ。ネイグルは「オルタナ右翼」から「オルト・ライト」への重要な転機として、2014年に“勃発”したゲーマーゲートと、そのなかから頭角を現わしたマイロ・ヤノプルスというトリックスターを取り上げている。