アメリカの作家ティム・オブライエンの『虚言の国 アメリカ・ファンタスティカ』(村上春樹訳/ハーパーコリンズ・ジャパン)は、ミソメイニアという奇妙な感染症が蔓延(まんえん)するアメリカが舞台だ。

 ミソメイニア(mythomania)はmyth(神話)とmania(熱狂)を組み合わせた精神医学の用語で虚言症のことをいう。小説では、ミソメイニアに侵されると誰もが嘘をつくようになるばかりか、自分の嘘がどれほど荒唐無稽かを競い合う。

小説『虚言の国』が描くミソメイニアに支配されたアメリカの現状。「客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力がある」世界イラスト/poosan / PIXTA(ピクスタ)

「アメリカ真実告知会」はその名に反してミソメイニアの拠点で、地方支部の役員は「我々は今まで起こったこともないような、これから先も起こり得ないような、とびっきり新しい何かを必要としているんだ。さもなければ、リベラルの馬鹿どもにいいようにされてしまう」と仲間を叱咤する。

 こうして「NASAはアイダホの森林を焼き払っている。人口統計局は青い目の人を統計に加えることを拒否している。グローヴァー・クリーブランド(第22代、第24代合衆国大統領)の頭蓋骨はウォーターゲート複合施設の地下に埋められている。コロンバイン銃撃事件はCIAの仕組んだものだ。パールハーバー攻撃はでっち上げだ」という虚言が拡散され、多くのアメリカ人がそれを信じている。

『虚言の国』の主人公はボイドという49歳の男で、ピュリツァー賞の候補にもなった元ジャーナリストだが、その人生はすべてが嘘で、「もしそれが真実らしく響いたなら、それは実際に真実なんだ」を口癖にしている。

 ボイドはある事件を機に新聞社を辞め、いまはカリフォルニアの小さな町でスーパーマーケットの支配人をしている。物語はそんな彼がある日、銃をもって地元の銀行の支店に行き、女性事務員に8万1000ドルをかき集めさせるところから始まる。ボイドはその女性事務員を人質にして車でメキシコを目指すが、そこから話はどんどんねじれた方向に進んでいく。

 ベトナム戦争に従軍し、戦争体験をテーマに小説を書き継いできたオブライエンは、嘘が蔓延する社会で、嘘にまみれた主人公が人生の決着をつけようとあがくこのロードノベルで「トランプのアメリカ」を描こうとしたのだろう。

「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」

 ポスト・トゥルース(post-truth)は真実「以後」の世界のことで、2016年に世界を揺るがしたつ二つの事件(イギリスのEU離脱を問う国民投票と、アメリカ大統領選でのトランプの勝利)を受けて、オックスフォード大学出版局によって「Word of the year(今年の言葉)」に選ばれた。「世論を形成する際に、客観的な事実よりも、むしろ感情や個人的信条へのアピールの方がより影響力があるような状況」と定義される。

 アメリカの政治学者で「ロシア、核戦略、NATO問題」を専門にするトム・ニコルズはその翌年(2017年)、『専門知は、もういらないのか 無知礼賛と民主主義』(高里ひろ訳/みすず書房)で、「アメリカ合衆国はいまや、みずからの無知を礼賛する国になってしまった」と論じた。“The Death of Expertise; The Campaign against Established Knowledge and Why it Matters(専門知の死 実証された知識への挑戦と、それが重要である理由)”が原題で、ポストトゥルースの背景には認知的な問題があるとするニコルズは次のように書く。

 平均的アメリカ人の基本的な知識のレベルはあまりにも低下し、「知識が足りない」の床を突きやぶり、「誤った知識をもつ」を通り越して、さらに下の「積極的に間違っている」まで落ちている。

 2014年に『ワシントン・ポスト』紙が、ロシアによるクリミアの併合を受けて、アメリカが軍事介入すべきかの世論調査を行なった。アメリカとロシアは核保有国で、ウクライナでの軍事衝突は第三次世界大戦(世界最終戦争)の引き金になる可能性がある。それにもかかわらず、世界地図でウクライナの場所を正しく示すことができたのは6人に1人(大卒にかぎっても4人に1人未満)しかいなかった。回答者の中央値をとっても、ウクライナの場所は3000キロメートル近くずれていた(「集合知」は発揮されなかった)。

 だがより興味深いのは、「ウクライナについての知識の欠如と正比例するかたちで、同国への軍事介入を支持する割合が高くなった」ことだ。これをわかりやすく言い換えると、「ウクライナが南アメリカやオーストラリアにあると思っている人々が、軍事力の行使にもっとも積極的だった」のだ。

 なぜこんなことになるのか。その理由としてニコルズは、「自己愛が専門知への侮蔑と合わさって、一種の自己実現行動になっている」ことをあげている。「今のアメリカ人の考えでは、政治制度において平等な権利をもつということは、どんなことについても、ある人の意見が他の人の意見と平等に認められること」なのだ。

 これは典型的な「知の相対主義」だが、そこには「知識に対する積極的な憎悪」があるとニコルズはいう。「あらゆることについてのどんな意見も、他の意見と同じ価値がある」べきだし、「どの意見も真実として扱われるべき」だというのだ。

 しかしそうなると、「あなたは間違っている」という言葉と「あなたは馬鹿だ」という言葉の区別がつかなくなってしまう。これがまさに、オブライエンが『虚言の国』で書いたミソメイニアに支配された世界だろう。

 その背景にあるのは、社会がますます複雑になって、「一般のひとはなにが正しく、なにが間違っているのか判断できないし、専門家ですら、自らの専門領域以外のことはよくわからなくなっている」ことだろう。国際問題の専門家であるニコルズは、同僚の大多数が「自分の専門地域以外の地理テストで合格するのは難しい」という。

 アメリカの政治史家リチャード・ホーフスタッターは、半世紀も前に「現代生活の複雑さのため、ふつうの市民が独自の知能と理解力でできることはつぎつぎに少なくなった」と書いた。「かつて知識人は、必要とされなかったためにやんわりと嘲弄(ちょうろう)された。今日では、過剰に必要とされているためにひどく恨まれている」のだ。

 法学者のイリヤ・ソミンも、「限られた知識しかもたない有権者が政府の多岐にわたる活動を監視・評価することがますます難しくなっている。その結果、人々が責任をもって主権を行使することがほとんどできない政治形態になっている」と指摘している。

 こうして、「専門知はもういらない」という風潮が疫病のように広まったのだ。

「バカは自分がバカだとわからない。なぜならバカだから」

 ダニング・クルーガー効果は心理学者のデビッド・ダニングとジャスティン・クルーガーが1999年に発表したもので、「聡明でない人ほど、自分が聡明だという自信を強くもっている」ことをいう。

 ニコルズは「わたしたちの一部は、けっして悪気はないにしても 、知能が低く、自分が間違っていることに気がつかない。誰もが音程をはずさずに歌をうたったり 、まっすぐな線を引けたりするわけではないように、多くの人々は、自分の知識の不足に気がつくことも、自分には論理的な議論を組みたてる能力がないと理解することもできない」と述べた。

 これ以外にもさまざまな説明のしかたがあるだろうが、拙著『バカと無知』(新潮新書)では、ダニング・クルーガー効果を「バカは自分がバカだとわからない。なぜならバカだから」と要約した。

 メタ認知能力は「自分が何かをうまくできていないと気づく能力」のことだが、それが欠けていると、そのことによって大きな損害を被ることになる。金融市場についての基礎的な知識もないのに、そのことを自覚できず、自信満々で株式やFXの短期売買を繰り返していれば、いずれ全財産を失うことは避けられないだろう。

 ダニング・クルーガー効果は、陰謀論がなぜ魅力があるかを説明する。わたしたちはみな、問題が自分の知的能力を超えているとか、自分が無知なために状況が理解できないという事実を認めることができない。そんな屈辱を甘んじて受けるよりも、「複雑なバカげた説」を選んだほうがずっとマシなのだ。

「もっとも無知な者が、もっとも自信がある」ことのもうひとつの問題は、それが社会に混乱をもたらすことだ。

 2014年に中国、イラン、デンマークの研究者が参加した国際的な研究で、国や文化のちがいにかかわらず、ひとびとは「会話に参加している全員が自分たちの能力にかなりの差があるとわかっていても、各自の言い分を公平に聞き、あらゆる意見を平等に検討するための苦労を惜しまない」ことがわかった。この論文の著者たちは、これを「平等バイアス」と名づけた。

 二人の人間が議論と意思決定に繰り返し取り組むと、能力の低い者が自分の意見を強く主張し、能力の高い者は相手の意見が明らかに間違っていても、その意見に従うという結果になった。これはほとんどの場合、議論が真実を発見するためではなく、相手との絆を強めたり、自分が集団の一員であることを確認することを目的に行なわれるからだろう。

 日常的な場では、議論で相手の間違いを指摘すると逆恨みされるリスクがある。自分の知識をひけらかすと、生意気な奴だと思われて集団から排除されるかもしれない。

 その一方で、自分が無知であることを認めると仲間からバカにされてしまうので、賢い者は自分の知識を隠し、バカな者は自分がなにもかも知っているように振る舞うことが最適戦略になってしまう。ここから『虚言の国』まではほんの一歩だ。