
ゴホンと言えば「龍角散」で知られるのど飴の老舗、株式会社龍角散(東京・千代田区、藤井隆太社長)が異例の人事で揺れている。数年前に中国ビジネスを攪乱した中国人女性のK氏が今春、事実上の対中ビジネス責任者として復活したからだ。
8年前に遡って、K氏がいかに龍角散を狂わせたかをみてみよう。
龍角散は中国では人気の薬だ。なにしろ、大気汚染が激しい中国では、のど対策として有効な龍角散へのニーズは強い。ちょうど、水なしで飲める「龍角散ダイレクト」が越境ECサイトで有名になった直後でもあったため、中国での龍角散への人気はすごかった。とくに個人輸入する以外には市販されていないことが希少性を生み、「ブランド力」はすさまじかった。
中国人の訪日時の土産は、「龍角散がもっとも喜ばれる」とされていたほど。だが、中国は東日本大震災後、10都6県で製造された医薬品・食品の輸入を認めていなかった(同社は10都6県に含まれる千葉県に製造工場があった)。
また、藤井社長は、17年の半ばまで頑ななほど中国への進出を否定していた。中国で販売を行えば、製剤の秘密が簡単に盗まれてしまうと考えていたとされる。社長ばかりか社内幹部のほぼすべてが同様に考えていた。
ところが中国で医薬に強いとされる東方新報の記者として藤井社長に近づいたK氏が17年に入社すると社長の考えは180度変わってしまう。K氏は中国から日本の大学に留学したこともあって、中国人らしい発音だが、意思疎通には不自由しない日本語を話す。記者出身で中国の製薬業界の事情には詳しいこともあって、藤井社長は次第に信を置くようになり、入社に至った。
社内の目は懐疑的だったが、K氏のあっせんで藤井社長は中国の華潤三九製薬と中国での販売を前提とする提携にのめり込んでいった。18年7月には藤井社長はK氏と2人きりで中国の三九製薬の本社を訪問。秘密保持契約も締結せずに提携交渉に入る。そして19年8月に株式会社龍角散は三九との提携を対外発表している。
藤井社長は、10都6県で製造した製品は輸出できないため、工程の一部をそれ以外の県で行い、再び千葉県の自社工場で包装するという策を取った。そしてそれを他県製造として輸出した。
当時の生産部門の幹部は他県製造を疑問視していたが諫言することはできなかった。
こんな悪質な行為をさせるほど、会社を危機の瀬戸際にまで連れ込んだK氏は、自説が通らなくなるうちに孤立し、最終的には会社を去った。日本のコンサルティング会社に転職して中国ビジネスを担当したとされる。
そんな「戦犯」が何の前触れもなく再入社して、国際担当の責任者になったことは、またしても中国ビジネスで提携先をもってきたのだろうと噂されている。たちまち、K氏が龍角散を辞める前に採用していた中国人4人を部下にし、対中部隊をつくり上げた。
5人は他の社員と同じフロアーに勤務するが、5人の間の話し合いはすべて中国語。5人だけでの会議ばかりで、席の近い社員も何をしているのかわからないという。
三九との提携交渉が続いていた時期、龍角散を揺るがしたセクハラ問題も勃発していた。18年12月、10人ほどの忘年会の席で社長が業務委託契約社員の女性に何度か抱き着くなどの行為に及んだ。「首筋がいろっぽいね」などの発言も繰り返していたという。