青少年が目標に向かって右往左往しながら成長していく物語を、かつては「教養小説」と呼んだ。明治から昭和戦前、教養の習得が重んじられた時代の名残でもある。「かくかくしかじか」はそういう意味で、教養小説の一種だ。ドイツ語のBildungsroman(ビルドゥンクスロマン)が教養小説の原語だが、ビルドゥンクスには「形成」という意味があるから、「自己形成小説」という訳がしっくりくる。
ビルドゥンクスロマンの代表作に、ゲーテの「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」(1796)がある。商家に生まれた主人公は幼少期からドイツ演劇界で名を成すことを目指し、青年期に出奔し、各地を遍歴しながら人と出会い、別れ、挫折し、成長していく物語だ。筆者が10年前に原作漫画「かくかくしかじか」を読み始めて、すぐに思い浮かんだのが、このゲーテの長編小説だった。
高校3年生の東村アキコは絵が得意で、10歳くらいから漫画に没頭し、将来は漫画家になりたいと思っていた。しかし、油彩画家の日高先生には、実は漫画家志望であることを言えない。宮崎市の絵画教室は中心部からバスで小一時間の郊外にある。原作を、映画は丁寧に描写している。登場人物の会話も宮崎の方言で、筆者は3割以上、聞き取れなかった。
竹刀をぶん回しながら「描けーっ!」と怒鳴りまくる日高先生は、ときおりバシッと手本を描いて驚かせる。先生に「おまえは進学校の生徒なんだろう。国公立の美大を目指せ」と言われるが、勉強には全く自信がない。それでも先生に叱咤されてセンター試験を受けることになる。マークシートの択一問題を、正答の分布確率だけを基にして得点を稼ぐのだが、これは実話なのだろうか。
東京学芸大学は落ちたものの、4日間に及ぶ実技試験を経て、金沢美術工芸大学に合格する。しかし、「描けーっ!」という先生の叱咤がない大学生活は、ボーイフレンドもできて、遊びほうけているうちに過ぎていく。このあたりは、誰しも思い当たる節のあるシーンだろう。社会人になって、大学生活を大いに後悔することになる。もちろん、天才漫画家の東村アキコに自分をなぞらえることなどできないが、共感はできる。