史実について資料があるのに
ドラマでそこを描かない理由

 この書籍は、やなせたかしと暢の出会いの場である高知新聞社が当時の資料を掲載している貴重なもの。くじらのモデルである「月刊高知」の当時の記事も再掲されている。

 それによると、創刊号では、震災孤児の座談会ではなく、「アメリカ二世を囲む座談会」という企画が行われていた。第72回で論説委員が、復興の鍵を握るのはアメリカであって、戦災孤児の談話を載せている場合ではない、というような批判をしていた。

「月刊高知」では高知ゆかりの日系アメリカ人からアメリカ文化を学ぶ企画を掲載した。これなら論説委員も納得したかもしれない。戦中戦後、日系アメリカ人はどんな生活だったのか。戦災孤児のエピソードは朝ドラではよくあるので、高知の日系アメリカ人の座談会を再現してほしかったようにも思う。

 それにこれだったら会議室で撮影しても臨場感云々は関係ない。戦災孤児の実情だったら現場の写真が必要だろうと、もし私が編集長だったらそう考える。

「月刊高知」ではやなせが出席者の似顔絵を担当し、暢は速記の技術を生かして座談会の文字起こしをしたそうだ。そういうところにも尺を使ってほしかった。

「ミス高知」の漫画は「月刊高知」でやなせが描いたもの。掲載は昭和21年10月号。創刊が7月なので4冊目の号である。9月号〜11・12月合併号まで連載されていた。

 月刊高知に関しては、これほど十分な資料があるのに、なぜそこを描かないのか。これには、最近NHK総合で放送されている辞書を作るドラマ『舟を編む』第3話にいい話があった。

 水木しげるの語釈を担当した教授(勝村政信)が長い語釈を書いてきた。短くせざるを得ないが、だったら降りると言いだした。辞書はページ数が限られているので、言葉の意味が短くなってしまう。たくさんあっても入り切らない。それをどう考えるか。

「辞書は入り口」だと編集部員の西岡(向井理)が言う。「辞書にそのものすべてを伝える力はありません」「入り口です。辞書は入り口にすぎません。ですが先生、入り口がなければ入れない世界があるんです」であり、そこから読んだ人が奥へと入っていけばいいのだと。

「たった数行。それでもその入り口は確かに世界につながっているんです」。これらのセリフを朝ドラ『ゲゲゲの女房』(2010年度前期)で水木しげるをモデルにした役を演じた向井理が言うので説得力が余計にあった。水木しげる先生が「入り口」を通して自分の人生を知ってもらえばいいと言っているみたいな気がするわけだ。

『あんぱん』もきっとやなせたかしを知る「入り口」なのだ。

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