そして何より、太郎はこの“撤退戦”すらも糧にしました。上海の米事情、闇社会も含めた中国の流通構造、現地日本人社会のニーズ、外交のリアル。数か月にわたる準備と現地調査で得た情報は、すべて彼の頭に刻まれていました。だからこそ、帰国命令が下っても迷いはありません。上海の外国人街で紅茶を飲みながら、「次は満州で売る」と即座に切り替える姿勢には、執念ではなく知略があります。
ビジネスにおいて、あらゆるプランには“崩れる可能性”がつきものです。けれど、崩れたときにゼロにしない方法はある。準備と交渉の段階で、自らの損害を最小に抑える設計をしておくこと。そして、計画が潰えても、蓄積した知識や人脈、経験を「次の機会」へとつなぐ柔軟な思考を持つこと。それが、山下太郎という男の最大の武器でした。
彼は、リスクを恐れて挑まなかったのではなく、リスクの芽を事前に摘んだ上で勝負に臨みました。しかも、その勝負はいつでも“次”へつながるよう設計されていたのです。
密輸は失敗に終わりました。しかし、そこで終わらなかったからこそ、太郎はこのあと、満州ビジネスという新たなフロンティアを切り拓くことになります。まさに「転んでも、ただでは起きない」――逆境を逆手にとる強さこそが、彼の真骨頂だったのです。
Key Visual by Noriyo Shinoda