「ヤマ師」に学べ―怪物経営者・山下太郎の決断力と思考法#7Photo:PIXTA

裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業「アラビア石油」を作った破格の傑物、山下太郎――。大正の米騒動の当時、太郎は政府公認の中国・江蘇米密輸計画に挑むも、上海総領事の強硬な反対で計画は頓挫した。しかし損失を最小限に抑える戦略を用意周到にめぐらせていた。そして現地で得た知見や人脈を糧に、即座に次のビジネスチャンスへと舵を切り替えていく。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。

転んでもただでは起きない
太郎流・リスクヘッジと次の一手

 山下太郎が画策した中国・江蘇米の密輸計画は、綿密かつ壮大な準備を経たにもかかわらず、上海総領事の強硬な反対に直面します。

小説『ヤマ師』より引用(P143〜147)

「君たちが密輸商か。ずいぶん若いんだな」

 皮肉混じりの物言いに太郎は少し不愉快さを覚えながらも、冷静に返す。

「山本農商務大臣のご了承の下、日本の米価安定と食糧事情の改善を目的に江蘇米を買い入れに参りました。総領事殿にご便宜をはかっていただきたい旨、大臣からの手紙も持参しました」

 山本の添書を手渡すが、有吉はそれを開きもしない。

「支那には防穀令があって、江蘇米は輸出できないことは当然知っているのだろうな」

「もちろんです」

「国際間には、それぞれ守るべきルールがある。それを破る企てには、総領事として断じて従うわけにはいかない」

「これは閣議承認を経た正式な施策です」

「それがおかしいと言っているのだ。このような手紙を書く大臣も大臣だ」

 そう言うと、有吉は山本からの手紙を自分の机に投げやった。

「江蘇米を闇で持ち出そうとする連中は他にもいる。君たちのような輩が好き勝手するから、このところ上海でも問題になっているんだ。排日運動も激しくなっておる。これ以上日本の品位を落とすような真似はやめてくれ」

「待ってください。総領事こそ、日本の実情をわかっていません。外地にあってぬくぬくと泰平を楽しんでいるのはあなたたちの方ではないですか。日本では今、米をよこせと暴動が起きて軍隊まで出動しているのですよ。革命にでも発展しそうな勢いだ。国の存亡に関わるほどの一大事です。他国の法律だの、国際信義だのに構っていられる状況じゃない」

「ふざけたことを言うな。国際信義を欠く行動がどれだけ大変な問題を引き起こすか、想像がつかんのか」

「英仏のごときは、阿片の密輸さえ国で保護しています。それと比べれば、我が国が米の輸入をすることが道義に反するとは到底思えません」

「あくまで君たちが事を実行するというのなら、僕は総領事の権限をもって君らを投獄する」

「いいえ、我々はやりますよ」

「わかっているだろうな。江蘇米を一俵でも上海港の外に持ち出したら即座に撃沈させるぞ」

 そう言い捨てると、有吉は奥の部屋に姿を消した。