「ヤマ師」に学べ―怪物経営者・山下太郎の決断力と思考法#6Photo:PIXTA

裸一貫から一代でトヨタ・松下・日立を超える高収益企業「アラビア石油」を作った破格の傑物、山下太郎――。1918年、日本中を揺るがした「米騒動」の最中、太郎は「江蘇米の密輸」という前代未聞の策を、農商務大臣に堂々と提案する。そこには、国家の危機に際しての“無私の志”と、後の大事業にも通じる独自の人脈哲学「人間植林」の萌芽があった。この連載では、山下太郎の波乱万丈の生涯を描いたノンフィクション小説『ヤマ師』の印象的なシーンを取り上げ、彼の大胆な発想と行動力の核心に迫る。

国家の課題に応える
「コメ密輸」で信頼を勝ち取る

 相手が最も求めている情報を、必要なタイミングで、しかも意表を突く発想とともに差し出す。“ヤマ師”こと山下太郎は、「人間植林」と呼んだ独自の人脈形成哲学において信頼関係の構築を最も重視しました。その真骨頂ともいえるのが “政府黙認の米密輸”を企てたシーンです。

 1918年、第一次世界大戦の長期化による好景気の裏で、日本社会は深刻な物価高騰に喘いでいました。その象徴が、庶民の不満が爆発した「米騒動」でした。米の価格は、わずか数カ月で3倍近くにまで跳ね上がり、全国で暴動が多発。政府は騒ぎの沈静化に追われていました。

 当時、農商務大臣の山本達雄は、米価安定こそが喫緊の政治課題であると理解していました。しかし、国内でのコメ増産はすぐにできることではありません。かといって外国米の輸入も、いわゆる長粒の“南京米”では日本国民の口に合わず、なかなか受け入れられないというジレンマを抱えていました。

 そんな中、太郎は独自の調査を進め、中国江蘇省で穫れる江蘇米なら日本米と遜色ない品質を持つことに着目していました。ただ、当時の中国は江蘇米の輸出を禁止しています。そんな障壁があることを把握しつつ、太郎は大胆な提案を山本にぶつけます。

小説『ヤマ師』より引用(P138〜140)

「知っての通り、政府は今、米問題で難儀している。米価を安定させる策はないものだろうか」

「大臣、米が足りないなら外から持ってくるしかありません」